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2021/4/14 10:02

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思想と人格は別だ説について

哲学、倫理 | 宗教67閲覧

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質問者

2021/4/14 12:05

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例えば共産主義者などはとてつもない善人が多いわけです。近くの友人数十人を救った人がいればたいしたものだと思いますが、共産主義の場合数億人を救わないと気が済まないわけで。完全な例外なき平等しか目指さないわけですね。だからこそそれに抵抗する民衆は二千万人(ソ連)あるい四千万人(中国)犠牲になっても差し支えないと考えるわけで。表象意識は善意の塊だと思います。その点自分なんかは不完全な人間なので、不完全な人間、不完全な平等で全然OKだと考えます。単純にレーニンなりの書いたものを読むと当時としては非常に優れたものだと思いますし、毛沢東の書いたものは軍事学的には面白いです。逆にいうと、共産主義がこんなに落ちぶれたのは資本主義側がきちんと共産主義側の書いたものを読んで研究したからかなとも思います。その逆はなかったのかもしれませんね。

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質問者

2021/4/20 19:56

ご回答ありがとうございます

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イデオロギーはアイデンティティに影響を及ぼしかねないですよね、 だから信条が異なる者同士が結婚したり心から握手するのは、かなり難しいでしょうねぇ

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質問者

2021/4/15 23:26

ご回答ありがとうございます

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こんにちは。「tyran」です。 「宗教」そのものが、特質した「柔軟性」があるもので、「慈悲心」「ゆるしの愛」等、本来「和合できる資質」を持ち合わせてるはずなのです。 例えば「イエス様:イエス・キリスト」の教えに「汝の敵を愛しなさい」(憎い相手でもゆるしなさい)との「教え」があるわけですから、例え、相手が「仏教徒」であろうと「キリスト教徒」と「仏教徒」は結婚することは可能なわけです! 夫は「キリスト教徒」、妻は「仏教徒」など。 日本国憲法には「信教の自由」が謳われており、何を信じて何を信じなくても自由なわけです。 男女が、お互いに自分の信じてる宗教と相手の信じてる宗教を認め合えれば「結婚」出来ます。お互いに「集会:宗教行事」に出ることを強要しないならば、可能です。 「思想」と「人格」を別に考えて、相互理解が出来れば、むしろ「進化した人類」になれるわけで、「完全な宗教」は存在せず、必ず、何か「思想的」に欠落しておりますから、そこを「お互いに埋めること」は可能かもしれません。 「テロ宗教」は論外です。 むしろ、どの「正当な宗教」とも融合できるぐらいでないと「世界宗教の器」とは言えないのではないでしょうか。 「思想」は自由です。 「人格」は認め合う努力が必要です。 以上です。 ありがとうございました。

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質問者

2021/4/14 13:08

ご回答ありがとうございます

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人間性の良し悪し 人間と家で飼っている犬や猫ではどっちの心が綺麗だろうという意味だと思いますよ。 そういう良し悪しと思想は別だと思います。 資本主義者にも共産主義者にも心の綺麗な人はいる。 法律も使う人の解釈によってどうにでもなる。 今の日本の政権はこういった解釈を捻じ曲げるのがお好きなようです。

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質問者

2021/4/14 12:25

ご回答ありがとうございます

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>敵対する宗教家同士が人間性は別だとして心からの握手が出来るのでしょうか? 敵対する宗教家が実在するかはさておき、ほとんどの人は自然にできるでしょう 宗教の自由を認めている社会は、それができることを前提にしてるんですよ できないならその社会にとって害なので禁止します

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質問者

2021/4/14 12:06

ご回答ありがとうございます