「隋書」倭国伝で煬帝を怒らせるような内容を書いた日本の意図はなんですか?

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お礼日時:4/20 2:12

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意図はありません。単に怒らせてしまっただけです。読めばわかります。 隋書 現代語訳(抜粋) 「大業三年(607)、その王のタリシホコは使者を派遣し朝貢した。使者は『海の西の菩薩のような天子が手厚く仏法を興隆させていると聞きましたので、朝拝に(私を)派遣するとともに、出家者数十人が仏法を学ぶために来ました。』と言った。その国書にいう。『日が昇るところの天子が書を日の沈むところの天子に届けます。お変わりありませんか。云々』 帝(煬帝)はこれを見て喜ばず、鴻臚卿に『蛮夷の書で無礼のあるものは二度と聞かせるな』と言った。」

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冊封という従属関係ではなく対等な関係を狙ってのことだと思います。 つまり中華帝国の一員になるのは嫌だが、文化制度は学ばせてほしいと言う意思表示です。 あれは2度目の遣隋使の時で、最初は随分戸惑い、馬鹿にされ、軽く扱われたのかも知れませんが、中国の様子もよくわかったはずです。朝鮮半島を通り延々と洛陽まで往復したら、途中でその国の様子は分かります。王府は豪勢で都は繁華だが、地方の人民は貧しく土地も決して豊かではない。ひょっとすると日本や朝鮮の方が上かも知れないぞという印象を持った可能性はあります。 事実、隋はその後高句麗との争いに負け十年後には滅亡します。朝鮮にも勝てなかった。日本は遣隋使を通してすでにそのことを読み取ってた可能性があります。 日本はその後ずっと中国には従属的な振舞をしてきていません。文物の吸収と絹などの交易相手としてだけ接してきた。あの強大な元の朝貢要求も軽くはねつけ、実際に武力制圧もされなかった。 「中国恐れるにあらず」という姿勢が現代まで一貫しているのはあながち根拠のない独りよがりだったとは思われません。

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外交上の常識がわからなかったから、事実をありのままに書いたら怒られた。

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ちょっといいこと書こうと思ったら、思いもかけず相手を怒らせてしまった単なる天然ボケ。 「日の昇る国の天帝~我ながらかっこエエ文句思いついたもんやな。西の天帝さんもご機嫌やろ」 「野蛮人が天帝やて?天帝名乗ってエエのんはこの世でワテだけや、この田舎もんが。アホは相手にでけへん。今後取りつがんでエエで」 「???なんで怒ってはるんやろな?」

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牽制のため日本のほうが偉いんだぞという内容の書簡を送ったら煬帝がキレただけです。

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