新潮文庫の「三四郎」を読了したのですが、疑問に思ったことや意味のいまいちわからない(細かくてすみません)ところがあり、

補足

⑤で変わらないもの(娘)と変わった者(広田先生)の対比があり、さらにその後であなた(娘)は画だ、あなた(広田先生)は詩だと表現されてますが、画が時が経過しても変わらないのはわかりますが、詩がどういう意味で変化するものとして例えられているのでしょうか?

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ベストアンサー

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補足について 詩がどういう意味で変化するものとして例えられているのか 難しい問題ですが、漱石は「草枕」で主人公の画家に冒頭の部分で「住みにくい所をどれほどか寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降る。」と語らせているので、詩と絵をともに芸術として響き合うものだと考えて対比させているのではないでしょうか。 または広田先生の中でその人は永久に少女のままなので夢にそのような昔の姿で出てきたのでしょう。 広田先生は三四郎に「僕は君より遥かに散文的に出来ている」と現実家を自覚しているので夢の中でも年をとらない自分にはなれなかったのかも。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

③の答えが特になるほどなぁと思いました。あまり自分でこういう恥ずかしい言葉を使ったことはありませんが、何か「ロマンチック」に感じました。 ⑤の補足は確かに広田先生が自分で散文的と言っているとこがあるのを思い出し納得しました。 非常に想像力豊かで頭の良い方なのだと本当に尊敬致します。 有難うございました。

お礼日時:4/19 19:18

その他の回答(2件)

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①P151の10行目からの「口頭試験を都都逸~恋の試験がしてみたい」の意味 「口頭試験で都都逸を歌って合格させてくれるならいくらでも歌ってみせるけどね、」 「物わかりの良い博士の前で、恋について試問してほしい」? (恋についてなら自身をもって答えられる、だから、物わかりの良い博士なら合格させてくれるだろうという意味が込められている。かな・・・) ②たまに三四郎が「何々かしら」とか「何々かしらん」とか女性口調になる時があるのですが、これは漱石の作品の特徴ですか?それとも昔の男の人はこういう言葉も使っていたのでしょうか? コトバンクによると、 「明治時代に入ってから語形は「かしらん」、さらに「かしら」へと移行し、現代に至った。現代ではどちらかといえば女性らしい言い回しとなっている。」 ③p271の8行目、原口先生が美禰子の絵を書いていて、敢えて奥行きのある絵を奥行きを無くして絵画に描き直しているのに、次第に絵の美禰子が実物に近づいていくと書かれていますが、この場面はどういうことを作者は言いたいのですか? 絵を眺めているうちに奥行き(立体感)を感じ取り、だんだん実物と同じように見えてくること。 「酔った心持ちである」とあるから、三四郎の妄想。 ④p304の7行目の「救世軍の太鼓」とはどういうことの例えですか? その直後に書かれている「悪感情を引き起こす」ということの例え。救世軍の太鼓は、寄付をしてくれと押しつけがましく聞こえてくるから。 ⑤p306の6行目から「宇宙の法則は変わらないけれども法則に支配されるものは変わる」とありますが、広田先生の見た夢とどう関係しているのですか? その後に、「あなたは変わらない」「どうして自分は変わったのか」という会話が交わされているので、その会話を引き出すため? ⑧p331の7行目の「揚がらざる態度」とはどういう態度ですか? 「うつ向いて」「肩をすぼめて」「両手を前で重ねて」いる態度。 先生の前で怒られている生徒のような姿勢ですかね。 「揚がる」とは、そのものの全体または部分の位置が低い所から高い方へ動くこと。

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補足に対して 「ぼくはなぜこう年を取ったんだろう」に、女は「もっと美しいほうへほうへとお移りなさりたがるから」と答えています。詩は観念的、魂であるので、年を経れば変わりうるのではないでしょうか。

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① 口頭試験という真面目にしないといけないところでふざけた。みたいなの。多分。 ② 昔の男の人はこういう言葉も使っていた。 ③ 原口先生にとって美禰子はリアリティのない存在ということ。多分。 ④ その頃救世軍というのが街中で太鼓を鳴らしていた。多分。