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2021/4/16 17:25

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江戸時代には寺子屋が全国各地の町や村にあったと思うのですが、その寺子屋は町や村のどのような地域に設けられていたのでしょうか?また村や町にどのくらいの数の寺子屋があったのでしょうか?

日本史 | 歴史27閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

詳しい回答をいただきありがとうございました! とても興味深い内容でした!

お礼日時:4/20 23:30

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まずは江戸 一町に2~3人というから単純計算で4~5千人先生が居たことになる 教える場所は自宅がほとんど 田舎の場合、自宅の場合もあればお寺が教えてる場合も多い 農民も年貢の帳簿付けがあるから、読み書き計算は必須だった

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つい先週、MXテレビの江戸番組で言ってましたが、江戸の寺子屋の数はとても多くて、現在のコンビニと同じ密度だったそうです。 街中は多く、田園地帯は少なかったのも同じでしょうね。

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町中ならそれこそ長屋の一室で、田舎ならお寺の本堂とかを借りてやってましたし、免許も許可ない時代ですから、数は把握出来ないと思います。 農村部(農家)でも、読み書きそろばんは必須とされ(文字を読んだり書いたり、計算が出来ないと悪徳商人とかに騙されるからです)、お陰で江戸時代の日本は、世界一の識字率を誇り、幕末に日本を訪れた外国人も、どんな田舎に行っても読み書きができる、と驚いています。同じ頃の欧米では、文字を読み書きできる人は2・3割くらいでした。

また『童子経』や『実語経』『天神経』などの教科書も出版されており、(経とはいえ仏教経典ではありません)、これで読み書きの基礎を学び、次の段階では『往来もの』と呼ばれた、状況に応じた手紙の書き方を教える教科書で、手紙の書き方や読み方を学びました。 先生は、田舎では僧侶や神主さん、江戸などでは浪人なんかが食い扶持を得るために経営していました。

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決まりや規則性はありません。 所詮、寺子屋も慈善事業ではなく商売ですから、需要がある地域に多かったとしか言いようがありません。