桓武天皇が最終的に京都に都を移した後(平安京)奈良 平城京はその後どうなりましたか。

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お礼日時:4/23 6:40

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平城宮の建造物が、唐招提寺に移築され、改造はされていますが講堂として現存しています。

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桓武天皇は奈良平城京の正統な皇位を簒奪したあと、歴史書まで全て廃棄して、南朝を正統とする歴史に書き換えた。遷都したとき公家たちも没落したでしょう そのため日本の仏教は百済系と新羅系があると指摘されています 足利で北朝に戻したが、明治でまた馬の骨に簒奪されました 日本の暗黒はここに始まります

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平安遷都後の弘仁1年(810年)に起きた薬子の変に破れた平城上皇は、元の平城宮に幽閉され、この地で余生を送りましたから、9世紀初めころまで平城京の宮殿などは残存していたと見られます。しかし、その後、旧平城京の施設等が歴史に登場することはなく、遷都後、平城京の「本体」は早いうちに荒廃したと見られます。 しかし、平城京には上の「本体」のほかに「外京」といわれる地区(現在の奈良市街地がある地域に相当)が存在しました。この地区には、東大寺、興福寺などの大寺院が遷都後も存続しており、桓武天皇も平城京の旧仏教を弾圧したわけではなく、一定の保護は与えていたので、寂れることはありませんでした。 当時、これらの大寺院は、宗教活動を行うだけでなく、多くの所領や物資を有する大企業であり、先端的な学術文化センターという機能ももっていましたから、外京はいわば企業城下町として発展を続けることになります。そのため、平安時代には、この地域は「南都」とも呼ばれ、平安京と並ぶ二大都市として位置づけられていました。

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784年―平城京から長岡京に遷都。 794年―長岡京~平安京に遷都。 平城天皇が808年頃に、平安京から元の平城京に還都を模索しています。 大きな建物は平安京に移設していて有りませんが 平城京を出て24年ほど経過していても、荒れ果てた状況ではなく、十分に還都が可能な状況であったように思われます。

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廃れて田んぼになりました。今は平城京の中を近鉄奈良線が通っています。まさかここが元都だったとは誰も思えないほど廃れていた証拠です。

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