誰かご存知でしょうか。 もしかしたら常識過ぎることかもしれません。 恥を覚悟でお伺いします。

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ベストアンサー

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江戸の特殊さは、大火の規模の大きさです。特に明暦の大火以降は、都市計画で広場の増設や道路の拡幅、新しい街並みの形成に伴い寺の移転も大胆に行われています。小規模の寺は江戸の郭内にあった寺が移転させられた可能性が高いでしょう。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

いろいろ教えて頂きまして有難うございました。 歴史的な知識も持って街歩きをするととても楽しいです。 今後の参考にさせてもらいます。

お礼日時:5/4 10:24

その他の回答(2件)

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平安時代に寺社を建てるのに最適な高台の土地が数多くありそこに寺社建てられました。江戸時代には寺社を囲むように大名屋敷が多数設けられ、江戸の入り口と言うことでさらに多くの寺院が建築されました。幕末には寺院が外国公使館に取って代わり、戦争や災害などで倒壊した寺院は消えたり立て直したりを繰り返しながらさらに密集していきます。そして明治になると、大名屋敷も大使館になっていきましたとさ。今後は更にそれらの歴史の遺物は信仰心の変化やニーズに応えるべく娯楽施設やカフェや貸しオフィス、納骨堂などに転換していくのではないでしょうか。

早速のご回答を頂き有難うございました。 早いですねえ、びっくりしました。 皆様の回答を読んで勉強しています。 大使館が集まった経緯はなるほど、と納得しました。 その基となった寺社の密集は江戸城から南方面で 防御のため、(たぶん、江戸建設初期の頃で南側に集中?) いろいろ勉強になります。

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麻布地区は江戸時代に寺社が計画的に集められた場所です。(中心になっているのは多くの子院を持つ善福寺です)幕府の政策で寺社地を寄進した所なので幕末に幕府の都合で善福寺にアメリカ公使館が置かれのが最初で、明治になってからフランス大使館・ドイツ大使館他大使館が集められた場所は明治政府が接収した旧幕臣の屋敷地です。

早速のご回答を頂き有難うございました。 皆様の回答を読んで勉強しています。 大使館が集まった経緯は納得しました。 その基となった寺社の密集は江戸城南の防御のため、 また、大火の後の区画整理の結果だという説にもうなづけます。 地図上では分かりませんが寺社の名前は様々でも善福治が 中心であることを知りました。 また、訪ねてみようと思います。皆様から頂いた様々な 知識を持っていったら新しい見方が出来て楽しいと思います。