鎌倉時代以前では東京はどんなところだったんでしょうか? 特に何もない田んぼだらけのど田舎とかですか?

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あと、今の東京タワー直下には「芝丸山古墳」という全長百メートルを超える前方後円墳があり、江戸と言っていいかはわかりませんが、世田谷区から大田区にかけての多摩川沿いには、さらに大きなものを含む古墳群があり、古代からこの地を支配する豪族がいたことが分かります といっても、律令時代には今の都内の中心は府中から国分寺あたりであったので、現在の都心部ははずれのほうではありました

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございます

お礼日時:5/10 8:43

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今の神田明神は元々天慶の乱で敗死した平将門を祭る将門明神でした、その神社に供える為の米を得るために付近を開発、田圃とした、神に供える米を作る田圃だから神田、それを管理したのか江戸氏、太田道灌が城を造った時、土地を借りる代償としてその城に江戸氏の名前を冠しのでした、明神に就いては皇国史観が勢力を得た時将門は天皇に対する反逆者の烙印を押されて祭神の座を失い、替わ天照が主神になたのでした、そこで神田にあるから神田明神と言う事になった、メビウスの輪的論理

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東の隅田川下流方面は葦の生い茂る低湿地、西の武蔵野台地は大きな川や用水もないので田んぼすらなく、原野を馬で駆けるみたいな土地柄だったと思います。

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京都だって洛中であっても、ちょっとはずれに行けば「特に何もない田んぼだらけのど田舎」ですけどね。 東京ってつまりは武蔵の国ですよ。今も武蔵野って言葉がありますよね? 現在の東京はこの武蔵野の台地の縁にあります。 皇居(江戸城)を観ればわかるように、台地の縁にあるので、江戸城は高台にあり、それが四谷や市ヶ谷(ここに見附が今も残ってます)方向つまり西へむかって台地が狭山や川越近く(つまり荒川)まで続いており、この広大な台地が武蔵です。 (わかりやすく言えば、となりのトトロに出てくるような景色です) 延々と原っぱが広がり、雑木林が点在する乾いた平らな台地です。 ここでは平らなので馬を飼ったりしてました。馬は古代から明治まで関東の特産品ですから。 なので、鎌倉時代においては武蔵野っていうのは、京都や奈良もしくは尾張あたりの貴族、武士、文化人あたりからは、なんとな〜く憧れの土地でした。 今で例えれば、モロッコあたりの砂漠の光景にひかれるようなもんですね。 いつか行ってみたいって思われていたのですが、まあ、実際に来たら、なんだこれってガッカリ観光地の元祖みたいなところですけどねw 江戸の名は武蔵江戸氏に由来します。板東平氏の流れを汲む氏族で、あとはf27********さんのご詳解にあるとおりです。 なお今も豊島区とか、閉園した「としまえん」ってありますけど、としまえんは豊島区にはありませんが、なぜこういう名称かというと、これは豊島氏に由来します。 豊島氏も坂東八平氏の流れで、現代の東京周辺に勢力を持った田舎豪族です。 源氏もおり、分倍河原の戦いで知られ、武蔵出身の英雄としてもっとも名高い新田義貞なんてのは、足利と同じ源氏(河内源氏系)の流れを汲み、徳川氏はこの新田氏を名乗りました。 (まあ、ウソなんですけど、江戸を本拠とする源氏の棟梁だぞって示したいので新田氏を名乗ったんでしょう)