キリスト教の世界史についての質問です。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様、回答ありがとうございます。 皆様の豊富な知識に感銘を受けつつ、迷いましたがベストアンサーを選ばさせていただきました。

お礼日時:5/12 19:23

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大体80%くらいは合ってるかな、っていう感じですね。 キリスト教が、ローマ帝国によって国教とされる以前における初期キリスト教の時代には、偶像崇拝を避けるため、教会内部の装飾は自然の風景などを用いたものが主流でした。 しかし、4世紀に入りキリスト教がローマ帝国に公認され、やがてローマ帝国の国教とされるに至り、多くの異教徒たち(古代ローマの多神教を信仰していた人々)が、キリスト教に改宗した方が得だと言う理由でキリスト教に入信してくると、そうした人々は「教会は聖なる場所である以上、キリストや殉教者などの像を並べて、もっと聖なる場所らしい装飾を施すべきだ」などと主張し始めます。 この時期における著名な聖職者たちの中には、そのような装飾は偶像崇拝であるから認められないと主張する人々もいましたが、なにしろ信者の圧倒的多数はそうした異教徒からの転向組なので数の差には勝てず、聖職者の中にも、そうした像は布教に効果的であるなどの理由から聖像を肯定する者も現れたことで、結局それらは偶像崇拝に該当しないという結論になりました。 蛮族や異民族相手というのも間違いではありませんが、何よりもローマ人の改宗を進めるために聖像は必要とされたのです。 この方向性に最後まで反対して追放された人がいたかどうかは不明であり、この段階でキリスト教から分離した「別の宗教」も、少なくとも今日知られる宗教としては残っていませんが、この問題はキリスト教世界において後々まで尾を引いており、8世紀から9世紀にかけて東ローマ帝国で起こった聖像破壊運動や、16世紀に登場したプロテスタントのルター派は、こうした聖像を「偶像崇拝」とみなしていました。

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西ローマの人々がゲルマン人にキリスト教を布教する際に偶像崇拝禁止のルールを破ってしまいました。というのも、ゲルマン人は移民だったために言語が通じなかったんですよね。 ルール違反に怒った東ローマの人々は、西ローマが行なった偶像崇拝禁止のルールに反した信仰と自分たちを区別するためにギリシア正教と名乗り始めました。 そして、偶像崇拝を許容してしまった西ローマはカトリックとなりました。 その後、宗教改革でカトリックの中からプロテスタントが生まれます。 (カトリックの普及の仕方が世俗化(汚いやり方にシフト)していったので。)

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