関東平野は日本最大の平野なのに、他の地域より稲作には適していなかったのでしょうか?

補足

このような疑問を持ったのは、関東地方の発展が近代まで遅れた要因は何なのかと考えたからです。 稲作に適した広大な沖積平野があれば、自然と人はそこに集まり、有史以来、都が出来そうなものですが、関東地方が発展したのはほんの最近であり、人口の集積が進んだのはさらに後になってからです。 土壌が稲作に適していなかったのか、土木技術が未熟で河川の氾濫に対応できなかったとか、近畿と比較して関東の発展が遅れた原因は何なのかなーと考える過程での質問です。

地学 | 日本史119閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございます。よく理解できました。

お礼日時:5/10 20:26

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関東平野は日本最大の平野なので、稲作に適していなかったのです。 通常河川は、中流域で氾濫を繰り返し、長い間水が溜まってしまうような洪水が堆積を広げていくものなのですが、日本の河川は短かく急で、扇状地が直接三角州につながるようなものが多いため、氾濫してもすぐに水が引いてしまいます。本来河川が作り出す、扇状地→氾濫原→三角州というような平野の地形がみられるのはある程度大きな平野を流れる河川に限られます。関東平野を作った、利根川と鬼怒川とその支流は、長い距離を流れる中で氾濫原を作り出しました。そして、川沿いでは洪水が起こるたびに流路が変わり、そうでない場所は水が溜まり続ける低湿地が広がったのです。他の回答にもあるように、田んぼは、水を入れたり落としたりという水の管理が必要でなので低湿地は稲作向きでないのです。氾濫原の下流の三角州も同様です。ということは、関東平野の大半が稲作には不向きだったのです。 房総半島から茨城にかけて、関東山地の東側などには台地が広がり洪水でも浸水しません。いわゆる洪積台地ですが、その多くは古い時代の海に溜まった砂の層で構成されていている上に川から高い位置であるために、水がしみこんでしまい田んぼを作ることができませんでした。 このように、関東平野は広いがゆえに低湿地と台地が多く、稲作が広がらなかったのです。 火山の影響を言う人もいますが、いくら活発な浅間でも、下流域にまで被害をもたらす規模の噴火は数百年単位でしか起こりませんから、それだけが理由ではありません。洪水で栄養が流れるというのも逆で、適度な間隔での洪水のもたらす客土は新たな養分を運んできます。また、稲作とは関係ありませんが堆積した火山灰の表層はクロボクを形成し畑に適した土壌になります。古代に大きな勢力を持っていた毛野は、群馬県から栃木にかけてですが、利根川や鬼怒川の作った緩い扇状地があり、火山灰土が適度に風化してそこを覆っていたことが、畑作や牧草地に向いていたことが権力の基盤になっていたと考えられます。

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火山が多く基本的に火山灰が多いことと、川の流れが急だったことが原因ですね。 先日、ブラタモリでもやってましたが、天明の浅間山の噴火では、今話題の渋沢栄一の故郷深谷市血洗島付近まで、利根川に沿って溶岩流が来ていたそうです。だからそれより上流は川が上げ底になって大きな船は遡れなかったほど。 栃木の大谷石などは先史時代の海底火山の火山灰だし、星野遺跡の縄文遺跡などは13層に分かれていますが、旧石器時代から縄文までそれぞれ別の時期の火山灰や洪水の層です。いかに噴火と火山灰にさらされ続けたかがわかります。 火山地形の急傾斜で、下流の扇状地での川の流れも激しくなります。 家康が利根川を千葉の銚子に流すように大工事をするまでは、坂東太郎の激流が江戸まで貫いていたのですから、山の栄養分も細かい砂・泥も、耕作地を素通りして海に流れてしまいます(そのせいで東京湾は豊かな海でした)。 例えば深谷付近などの砂壌土は砂4:粘土1と配分が絶妙で、深谷ネギや藍の畑作には最高ですが保水力がなく稲作には不向きだそうです。

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関東に住めばわかりますが、一口で関東平野といっても台地と沖積地があります。関東平野の大部分は台地です。 台地は水はけが良いので、近代になるまで畑作中心で、稲作が行われるようになったのは農業用揚水ポンプが普及してからです。

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もしそうだとすれば、日本最大面積を誇る関東平野が古代から日本の中心になったはずです。 決して広いとは言えない奈良盆地が天皇家発祥の地となったのは、稲作栽培に適していたからです。 日本全国どこでも稲作に適した土壌と言う訳ではなく、農地や稲の開拓・改良によって水田地帯が拡げられていきました。 水田地帯になったのは戦後と言う地域が少なくありません。

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関東平野って古代から稲作が為されていましたけどねえ。 もしかして武蔵野台地と関東平野を取り違えていませんか? 武蔵野での稲作が江戸時代まで遅れたのは、それは単純で水利に乏しかったからですよ。 四月一日さんが火山灰に触れておられますが、関東ローム層は一般に稲作には向かないとされていますが、実際にはローム層といえど切れ込む谷地があちこちにあり、台地の縁には湧水も豊富ですし、多摩川や荒川もありますので、そういうところでは土壌も肥沃に転換していますので稲作をやっています あと基本的なところですと、現代では平野は田んぼが広がっているので、稲作に最適だって思われがちですが、実際には山や谷があるようなところこそが稲作に向いているわけですよ。水があり肥沃な土壌が供給されるので。 だから、今でもハイキングや登山で山奥の谷の中に、田んぼがあるわけで、なんであんな不便なところに今どきまで田畑が?って思っちゃうのは間違いで、そういうところが好適地なんです。 (もしかして小学校の課題だったら、平野は田んぼに向いている、山地は向いてないから蕎麦や麦、雑穀を作っていた・・・って回答しとくのが無難ですけどね)

>関東地方が発展したのはほんの最近であり これをどういう意味で使っておられるのかなあと。 (まさか「徳川が江戸を拓くまでは僻地だった」なんてヨタを信じておられるわけじゃないですよねえ。補足の印象からは知識がおありで、そんな方には見えないですからねえ) 縄文人の遺跡がたくさんあり、古代においても今も府中に大國魂神社があるように国府、国衙がおかれ、巨大な官道が走っていたように、古代から開けておりますし、板東平氏が本拠を置き、河内源氏も新田氏のように群雄割拠していた土地柄ですからねえ。 なんで関東のあちこちに古城がやたらとあるかっていうと(現在の皇居、江戸城だってもともとは在地豪族の居城です)、それなりに繁栄した場所だからってお判りになると思うのですが。