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2021/5/6 17:31

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旧約聖書出エジプト記3章14節

世界史 | 宗教36閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様多くのご意見をありがとうございます。 色々と迷ったのですが個人的に1番分かりやすかったこの方をBAとさせて頂きます。

お礼日時:5/7 0:42

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よく考えてみてください。 「わたしがあるもので、わたしはある」 「わたしがなるものに、わたしはなる」 これは日本語では多分、「今」「あるがまま」ということではないでしょうか。 あなたは焼き芋が欲しい。やっと見つけた。それを手に入れてあなたはそれを握りしめ「焼き芋が手に入った!」と叫んで振り回した。 ところがふと焼き芋を見ると、それはすでに焼き芋ではなく、黒く腐った何か別のものになっていた。 どこで間違ったのか?思考は、あるがままのものをとらえることができない。目の前のものは、ある意味ずっとそのままであり、しかし捉えようもなく変化している。その変化しているものが、「これがあるのだ」といわば「決めてしまう」作用こそが「思考」「判断」なのです。 あるがままのもの、それ自体で存在するもの、生きているものは、「これである。」「これがある。」ということができない。あなたの判断が決めてしまうことができないものである。 その思想はずっと生きている。キリスト教になっても、歴史が下っても、ずっとそれは生きた思想です。 目の前のもの、生きているもの、それは思考であるあなたにはとうとうとらえることができないもの、有限ではないもの、しかしリアルで今もそうだし常にそうだしずっとそうであるようなものなのです。 ギリシャ人はそれを Ἐγώ εἰμι ὁ ὦνと訳しました。今の聖書研究者たちはギリシャ的なオン(存在)ではない、オントロジー(存在論)ではなくハヤトロジー、つまりユダヤの言葉でとらえて、あるではなくてなるのだと言い、そうした訳をつけ始めました。その結果「なるところのものになる」と訳したりしています。 何にも変わらない。だって、目の前の事実がそうだからです。ギリシャ人が間違っていたわけではないんですよ。 裁くな。裁かれないためである。あなた方が裁くその裁きで裁かれ、あなた方が量るその量りで量り与えられるであろう。あなたには神を限定できないんです。

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出エジプト記 3章14節 [聖書協会共同訳] 神はモーセに言われた。「私はいる、という者である。」そして言われた。「このようにイスラエルの人々に言いなさい。『私はいる』という方が、私をあなたがたに遣わされたのだと。」 [新改訳2017年] 神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」 [新世界訳2019年] 神はモーセに言った。「私は自分がなろうとするものとなる」。さらに言った。「イスラエル人にこう言うように。『私はなるという方が私をあなたたちの所に遣わした』」。

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其処は、ギリシャの哲学の影響で「神は居る」と示した…との意見があります。ラビ曰く「神は『共に居るであろう』と言う…」名と訳すのがユダヤ的の様です。 何にせよ、「居られる」事を宣言した箇所なのは変わりません。

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自分の聖書には すると神はモーセに言われた わたしは自分のなるところのものとなる そしてイスラエルの子らにこう言うように わたしはなるという方がわたしをあなた方のもとに遣わされた と書かれていますが 聖書によって違うんですね