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信心の戦いとは、どのようなものを想定されているのでしょうか? キリスト教では信仰のゆえに迫害されて棄教を要求されて拷問されても信仰を棄てなかったために処刑された人が数多くおりました。その場合は生きることではなく死ぬことで信仰を表明したわけです。また生きることとは何でしょう。この世の生命のみについてであれば、違うと思います。来世の天の国での永遠の生命を生きるために今世の生命を棄てるという選択を殉教者たちはしたわけです。殉教者のような、死んで生きる、という意味であれば、たしかに信心の戦いは生きることと言えるのかもしれません。