創価学会員です。 仏教の教主釈尊の最高の経典とされる、法華経について質問させて頂きます。

補足

大乗非仏説論の回答が多い為、補足をさせて頂きます。 本当は、仏説自体が不明だと言う事です。 これを御理解の上、回答をお願い致します。 ↓↓↓ 真の仏説不明論 文献学的には、大乗仏教の仏典のみならずパーリ経典の大部分も釈迦の死後数百年にわたり編纂されたものであることが明らかとなっている。 最古の経典も釈迦の死後100年以内の編纂とみなされているため、近代の文献学上は原始経典さえも釈迦の言説が明確に記録されているか否か明らかでない。 原始経典に戻っても釈迦の直説を探り出すことは困難であり、原始経典もゴータマ・ブッダの没後に編集されたことなどから、大乗非仏説の主張や論争は現在では下火となっているという。

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ベストアンサー

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回答有難う御座います。 大変に参考になる御回答で御座います。 私も、浄土系や真言系は、釈尊が法華経を説いたとするなら都合が悪いのではと推測しております。 そもそも、法華経が無ければ、方便(法華経に導く為の仮説)も成り立ちませんからね。 煩悩即菩提、一念三千を理解し、考察しなければならない。 法華経が最高の経典であり、仏教には必要不可欠である。 まさに、整合性がとれるかとれないかが鍵であります。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様、多くの回答を有難う御座いました。 今回は、300を超える閲覧を頂き、感謝しております。 法華経に関する議題は、関心が高いようですね。 的確な回答を頂いた、あかしろきんじょさんにBAをさせて頂きました。 それでは、次回も宜しく御願い致しますm(_ _)m

お礼日時:6/10 15:50

その他の回答(11件)

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「教主釈尊が法華経を説いたとする事で、 都合の悪い宗派があるのでしょうか」 と言うことですが、都合が悪くなる宗派というのは、たいていは、 法華経よりも自宗の依教の方が優れているとしているところです。 その理由は、自宗の依教は釈尊直伝のものであり、信用ができ、 法華経は後世の人間の創作したものであるので、信用できない、 と言いたいわけです。 だから、教義の中に法華経と共通したものがあると、 「法華経は自宗の教義を盗んだ」と言うわけです。 このように主張する宗派は、複数あります。 ところで、「法華経は釈尊が説いたのか」という疑問は、 極めて非仏教的なものです。もし、釈尊が現在生きているとするならば、 「そんな、どうでもよいようなことにこだわるな。 私の真意が理解できないから、そんな疑問を持つのだ」 と一喝されるでしょう。 当方の関係した仏教学者は、 1人は、経文のサンスクリット語の漢訳が 不正確なものを探し出し、 より正確な漢訳にするという研究をしていました。 もう1人は、仏教がインドからヨーロッパへ伝播する状況を研究していて、 その遺跡を発掘調査していました。 この研究内容でもわかるように、仏教学者・研究者というのは、 自分の得意な狭い分野について研究をしているわけで、 そこから仏教全体や釈尊の実像が明らかになるというものではありません。 例えて言えば、ニュートン力学で宇宙の性質を 捉えようとしているようなものです。 いくら研究しても本質には行き当たりません。 次元の違うものだからです。 宇宙の性質を捉えるためには、まったくアプローチの次元の違った、 特殊相対性理論に基づかなければならないのです。 「法華経は釈尊が説いたのか」と言うのは、 ニュートン力学次元の疑問です。 いくら仏教学者が研究したとしても、 真実が明らかになることはありません。 枝葉末節が少しずつ見えるようになるだけです。 要するに、法華経と他の経文とを読み比べて、 「法華経が釈尊の最高の経文である」ということが、 解読できるだけの知識と知恵を持ち合わせなければ、 法華経と釈尊の関係の真実を体得することはできないでしょう。

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回答有難う御座います。 仰る通りです。勉強になります。 あかしろきんじょさんやリョーゼンさん以外のほとんどの方が、法華経は釈尊が説いたのではないと、研究者的、文献学的な観点からしか発言しておりません。 他の経文と読み比べ、どの様な経緯で最高の経典である法華経を説いたのかを読み取っておりません。 万人成仏を説いた法華経が、教主釈尊の御意(みこころ)であり、日蓮大聖人様の魂は南無妙法蓮華経であります。

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法華講を広めている日蓮宗と日蓮正宗は、仏教の中の一派に過ぎず、注目はされていません。 また、日蓮を話題にしたり、お経もどきを唱えて宗教的なお遊びをしている政治結社「創価学会」や「顕正会」は、仏教や法華講に分類されませんから、やはり法蓮華経はマイナーな部類といえましょう。 創価学会は30年も前に、日蓮正宗から破門、除名処分にされています。 日蓮が公開している破門までの経緯と破門通告書 https://www.nichirenshoshu.or.jp/jpn/soka-j.html 創価は、日蓮を信仰させてもらっている身でありながら、教えに背くことばかりしており、しかも会員数とマネーパワーにものをいわせて日蓮を乗っ取ろうとしたことで、日蓮と創価は険悪な雰囲気になります。 注意指導をしても改善されず、誹謗中傷という形で応じてくるため、日蓮正宗は、平成3年11月に創価学会とSGIを破門にします。 この措置で、創価学会はお寺、本山、住職、仏法を教えてくれる指導者、ご本尊、すべてを失いました。 創価学会には、お寺もない、本山も無い、住職もいない、本山の本尊も拝めない、仏教団体の組合にも入っていない、それ以前に仏教団体の信徒資格すらない。 仏教たるものを教えてくれる師もいない。 さすがにこれでは組織として成り立ちませんから、 信仰の対象を、日蓮上人から創価学会名誉会長の池田大作教祖に変更し、 お寺から盗んだ本尊を複製して偽本尊をつくり、経典なども真似をして信者に配布し、日蓮風なニセ宗教団体として生きていく道を選んだのです。 仏教界から破門にされ、信仰の対象である日蓮寺院と無縁になっているのに、他の宗派(天台宗、真言宗、浄土宗)のお寺に入って仏法を学ぶ素振りすらも見せません。 創価学会は仏教と無縁の、仏法を学ぶ意思すらもない新興宗教団体ということになります。 ただの「創価教」では見向きもされないことがわかっているから、かつて在籍していた仏教団体の名前を借りて、さも仏教系団体のように装いながら世界を、無知な日本人を騙しながら政治活動や営利活動をしているんです。 商売や日本侵略をするために宗教を利用するとは、宗教への冒涜もいいところです。

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回答有難う御座います。 質問とは無関係な回答です。 勘違いしているようですが、創価学会側の寺院もあります。 仏教界と言う事ですが、それは、信教の自由を民衆から奪う圧力であります。 創価学会は日蓮仏法を信じ、学び、実践しているのですから、誰がなんと言おうと仏教です。 民衆を見下す仏教界なるものがあるならば、こちらから願い下げです。

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仏教の経典は6000巻あるといわれています。それぞれ違うことが説かれています。釈迦の死後教団は大きくなっていったが、指導者がいなくなってしまったため、100年前後には戒律や修行をめぐって大きく二つに分かれ、更に100年後くらいに20くらいの部派に分かれた。そのころから釈迦の言葉を残そうとそれぞれの解釈で経典を作ったものだから多くの教典ができてしまった。法華経も釈迦の死後数百年を経て紀元前後釈迦の仏塔などを守る菩薩団によって生み出されたとされている。菩薩団とは信者だけの在家集団。他の教典と作られ方は同じですが、在家のみ、というのが違うのかな。創価学会は法華経は釈迦が説いていることは間違いない、その教がまとめられたのが 数百年後という事であるとしているようです。いずれにしても多くの教典は釈迦が自ら残したものではない。

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回答有難う御座います。 釈尊は民衆に説いた教えを、書き残してはおりません。 紀元前の事ですから、紙や筆なども無かったか、あっても大変に高価だと推測出来ます。 動物の革で作った革用紙などは、一般的には普及していなかった。 あったとしても、高価であった。 当たり前の話ですが、釈尊が説いた教え、思想を弟子が書き残したとするならば、それは釈尊が説いた事になります。 弟子によっては解釈の違いはあるのは当然であるだろうし、書き残した文書も全て現存しているとは思えません。 文献学で研究出来る限度はありますので、それを歴史的事実だと決め付けるのは良くないですね。

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法華経がゴーダマ・ブッダの直説ではないという点については複数の回答者さんがお答えになっているので、私はそれらへの返信として質問者さんがお書きになっていることについて意見を述べさせていただきます。 >そもそも、釈尊が説いてないのであれば、誰が説いたのか? >この人物が確定してない時点で、文献学の主張は、『だろう』主張であります。 法華経をブッダが説いていないということを論証することと、「では誰が説いたか」ということを証明することは全く別物であり、別々に成立します。 ある事件の犯人がAさんではないということを証明するには、Aさんのアリバイを証明すれば充分なのです。 法華経の中で描写されている時代にはブッダは生存していなかったということでブッダのアリバイは成立しているわけです。 ブッダは生きている時代が違うので、法華経が書かれた場にいたはずはなく、したがって法華経を説けないのです。 そして、「では誰が説いたのか」ということはまた別の問題として研究されなければいけないことです。 それがわからないなら、ブッダが説いたことも否定できないというなら、真犯人が見つからない限り全ての容疑者の容疑は晴れないと主張するようなものです。 まずは犯人ではありえない人の容疑を外していかなければ、いつまでたっても絞り込むということができません。 また、補足ではWikipediaから「真の仏説不明論」を引用されていますが、これを言い出したら法華経と同じことですよね? パーリがブッダが説いたものではないなら、誰が説いたのでしょう? それがわからない限りは「真の仏説不明論」も「だろう主張」に過ぎないということになります。

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回答有難う御座います。 違う視点からの御意見ですね。 そもそも、釈尊が説いた教え(経)を弟子が書き残したならば、それは、釈尊が説いた事になります。 それを、弟子が書き残したのだから、釈尊が説いたのではないと言うのであれば、全ての経典も釈尊が説いたのではないと言う事になる。 しかも、弟子から弟子への教え(経)が継承されていたならば、時代背景もその弟子の時代の事を例え話で入れてもおかしくはない。 大乗非仏説は、そもそも文献学からの1つの仮説に過ぎないのであります。 私が、補足で入れた真の仏説不明論も 1つの仮説です。 私自身は、法華経は教主釈尊が説いたと考えております。

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「法華経で救われない者は、我が名(阿弥陀)を呼びなさい」 都合の悪い宗派は、日蓮系です。

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