全盛期の豊臣軍の軍事力は、世界の視点から見てどれくらいのレベルでしょうか?

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中世最大の会戦といわれた100年戦争におけるクレシーの戦いはイングランド王国、ブルターニュ公国ら数か国と、フランス王国、神聖ローマ帝国ら数か国が決戦した国家間にまたがる大戦でしたが、この会戦に動員された両軍の兵力は川中島の戦いに動員された武田VS上杉軍と大差ありません。 これと同じようにヨーロッパにおける大会戦に動員されている兵力は日本や中国と比較すれば明らかに少なく、中世・近世におけるヨーロッパ各国は動員兵力が少なかったことが分かります。 その理由は中世、近世ヨーロッパは疫病と貧困に苛まれた貧しい世界で、キリスト教が複数婚を禁じている影響でアジア諸国に比べて人口の伸びが乏しかったのです。16世紀の日本の人口が2200万人に対し、スペイン帝国は850万人、ブリテン諸島全体を合わせても625万人、フランスで1000万人、神聖ローマ帝国ですら1600万人ですから、日本の人口がヨーロッパ諸国に比べて明らかに多かったことが分かります。 人口の多さはそのまま国力に繋がり、軍事力にも多大な影響を与える要因ですから、軍事面では豊臣政権がヨーロッパ諸国より明らかに優位だったことが分かります。 文禄・慶長の役は陸戦、海戦における主だった戦いは日本軍が勝ち越しています。戦争終結の原因は豊臣秀吉の死でしたが、撤退の際に小西行長が結んだ停戦協定を破棄して明・朝鮮連合が大規模な艦隊を率いて日本軍を騙し討ちした露梁海戦でさえ、島津・立花ら寡兵の軍勢はこれを大破し、明の副司令官・鄧子龍、朝鮮水軍司令官・李舜臣ら非常に多くの敵将を討ち取って勝利しています。 全盛期よりは衰退したとはいえ、世界最強の国力を持った明が相手でも局地戦では日本軍は互角以上に戦えたということです。

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例えば、ヨーロッパを震えがらせたオスマン帝国の全盛期のシュレイマン大帝のウイーン攻防戦(1529年 秀吉が生まれる少し前)。 このときシュレイマンの率いた軍勢は15万でした。 ハプスブルグ家の神聖ローマ帝国のカール5世が2万くらい、フランスのフランソワは1万5千くらいなので、一桁違いました。 一方秀吉の小田原城攻めでは本隊が15万、前田、上杉、真田の別働隊が3万、水軍が2万で、20万。 つまり豊臣秀吉はヨーロッパを震え上がらせた大国・オスマン帝国より動員力が多かったのです。 しかも秀吉の率いる軍勢は100年近い戦国時代で鍛え抜かれた精鋭ですから、世界的に見ても相当の軍事力だったことでしょう。 ただ、世界一の軍事国家アメリカがベトナムに負けたように、軍事力=勝てるとは限らないですけどね。

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>明&朝鮮に敗退した実績から、大した事は 敗退したわけではなく、秀吉の死で小西行長と加藤清正が仲たがいして帰って来た仕舞ったのです。