幸福の科学の信者に質問します 教祖が子供に渡すために積立を始めていても、お布施は神仏に対するものであり、崇高な行為なのですか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

会話にならないと思うので、こっちをBAに

お礼日時:6/17 5:22

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幸福会員です。 何点かあるだろう、と思います。 まず、大川総裁は、救世主の立場として、 会員さんたちからお布施をいただいている、 という形にはなりますが、 一方では、著述家として書籍による収入を得ている、 という部分があります。 つまり、大きな意味で言えば、 すべてお布施になるのでしょうけれど 別の視点からすれば、通常の利益を得ている面がある、 という部分ですね。 次に、かつての釈尊であれば、 一切の所有物はなかった、ということになりますが、 それは現代にはそぐわない面がある、という部分です。 もしくは、過去、エル・カンターレは、国王なりの 地位で出られ時も多いので、その場合は、 おそらく、民の税からみのまわりの調度品はそなえたであろう、 ということでしょうか。 こうしたことを考える際に、 宗教者だから、釈尊の再誕だから、 ということで、一切、お金を所有していません、 というのは、また、違うのかな、という印象はあります。 これは、収入、布施に対して、それを一切、 自分では受けてはいけないのか、 という論点の部分でしょう。 そして、もうひとつは、具体的なこと、 一切の布施が教団運営にのみあてられ、 ご子息も、これまた、一切を所有しない、 という形式であれば、 二代目以降、どういう形になるのかな、 という部分が出てくるだろうと思います。 すなわち、他の宗教団体では その子息に継がれていく場合にどうなっているか、 という部分ですね。 ここの部分にフォーカスすると、 ある程度以上、妥当というか、問題ない、 ということになるんではないかな、 という印象はあります。

ただ、この問題に敏感なフォーリーからすると、 許されない行為、裏切り行為、 問題外の行為、ということになるんだろう、 と思います。 この部分については、 難しい部分がありますので、 詳細については、さまざまな論点が 必要となるんだろう、と思います。 その場合、ある程度以上の 悟りは必要になるのかな、 とは思います。