ここから本文です

火縄銃の価格(歴史)

itafujitaさん

2009/3/2618:55:07

火縄銃の価格(歴史)

火縄銃の価格って2丁で2千両って聞きましたが
現在の価格で何円位するんですか?
2億とか自分の娘を売ったとかって聞いたこともあるんですが、
当時16歳とかって資料集に書いてあります
そんなのってありえませんよね?
ということで当時は何円位したんですか?

閲覧数:
7,060
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

編集あり2009/3/2721:44:02

明治時代の新聞記者・西村天囚の「南島偉功伝」の書では、ポルトガル人は「鉄砲二挺を二千両に売りつけし」と書かれています。これが金二千両のことだとすると、現代の価格では一億円以上。銀二千両であれば、その半額以下の5千万円程度でしょうか。但し、「鉄砲記」は「その価の高くしておよび難し」と記されているのみで、結局いくら支払ったのかは教えていません。ゆえに、両という単位は江戸時代に入ってからであり、秀吉の時代の通貨の表現は金子何枚、銭何貫目でしたから、おそらく天文年間は貫目という呼び方だったと考えられます。

また、自分の娘を売った(正確には嫁がせた)のは、初の国産鉄砲作りに挑んだ八板金兵衛清定です。ネジを作る技術がわからず困っていた金兵衛は、その工法をポルトガル人から聞きだすために17歳の自分の娘「若狭」を嫁がせました。しかし、商人だったポルトガル人はネジの製造方法を知らなかったのです。夫に連れられて異国へ旅立った若狭でしたが、二ヵ月後、ポルトガル人の鉄砲鍛冶を連れ、夫とともに種子島に帰ってきました。これにより金兵衛のネジ作りは一挙に進みました。でも、若狭が再び島を離れる日が近づいてくると、異人に嫁がせた自分の娘が不憫でならない金兵衛は、「若狭は急死した」と嘘をつきました。激怒したポルトガル人は、島を去り際に「嘘なら七代まで祟るぞ」と捨て台詞を残していった、と伝えられています。

ちなみに金二千両(南島異功伝)が一億円以上ですから、二億円を当時の金額に置き換えると金四千両ということになります。

追記

鉄砲普及後の価格ー1挺・当時の価格で1200文(現在の貨幣価値では約60万円)

この質問は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

ytadanukiさん

2009/3/2621:21:58

種子島に鉄砲が伝わったときのことを書いた「鉄砲記」って、内容の正確さに疑問をもたれてる文書です。
天文12年にポルトガル人が種子島へ来て鉄砲を伝えた、ということだけは、ポルトガル側にも記録が残っているから本当だ、というくらいのことです。
そもそも、このころ「1両」という小判がありません。この時代に日本には「両」というお金の単位はないんです。
娘というのは、鉄砲のコピーを命ぜられた鍛冶屋の娘のことですが、これも本当かどうかわからない。
そもそも種子島に鉄砲が伝わったのは偶然ではなくて、倭寇が東南アジアで手に入れた鉄砲を量産して装備したくて
倭寇が利用しやすくて鍛冶の能力の高い島ということで、ここで鉄砲を作ってもらうために計画的に持ってきた可能性が高く
破格の値段で買い取ったというのも嘘ではないかと思います。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問や知恵ノートは選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。