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2021/7/12 11:37

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ダグラス・マッカーサーって、軍人としては無能じゃないですか?むしろ政治家や統治者としては有能だとは思うですが…(日本統治を考慮すると)

世界史 | 日本史153閲覧

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回答(12件)

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米国なんかはダレが来ても変わらないというか 経済でかなりリードしてますし 統治より原因知りたいとかそれではないかな?

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軍人としては優秀な人物になるかと思われます、初期のフィリピン敗戦を喫したときにマッカーサー自身にあった白人優越主義から日本人に対する偏見を素直に改めて切り替えるなど、柔軟な思考を持ち合わせていた人物ではあった。 ただし、 自分に敗戦を負わせた敵将には情けをかけずに復讐心を露にした。 まあ、日本を敗戦に追い込んだ人なので嫌悪感はありますね。

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かなり出尽くしていますが、回答します。 軍事について 1 良かった点 朝鮮戦争での仁川上陸作戦 可能性が殆どないと言われたのに、成功させたこと。 これで、攻守逆転で、釜山に第2のダンケルクになるのを防ぎ、仁川ー釜山間の敵軍をほぼ制圧。 2 悪かった点 ① マッカーサーだけが、フィリピン奪還を主張して(ウエーキ島、トラックとかは、無力化して占領せず、サイパンとか必要なところだけ取り戻す予定だったのに)、奪還したがアメリカの被害も少なく無かった。 (日本にしても、裏をかかれたのは事実ですが) ② 朝鮮戦争で攻めすぎた。 唐入りの小西行長と同じミスをしています。 本国からの進軍命令を無視して中国国境に迫ったのが失敗。 平壌の北に、防衛線を作って、そこで阻止するようにしたら、今の北朝鮮は、ほぼ無いと思います。 国連の緩衝地帯になった可能性大(ベルリンのように4か国統治かと)。 政治については、先の方が書いているとおりで、日本に来たのがマッカーサーで良かったのは事実です。

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アメリカ合衆国陸軍元帥 ダグラス・アーサー・マッカーサー 1. ウェスト・ポイント陸軍士官学校を開校以来トップクラスの成績で首席卒業(四年間の平均点98.14) 2. 第一次世界大戦では最前線で指揮を取り数回負傷、米軍で最多の勲章を受ける。 3. 米陸軍史上で最年少の少将に昇進。ウェスト・ポイント陸軍士官学校校長 4.米国オリンピック委員会会長。アムステルダム五輪で米国選手団長 5. 米陸軍参謀総長(副官がアイゼンハワー元大統領) 6. 米陸軍極東方面司令官(在フィリピン:アイゼンハワーも副官として同行) 7. 太平洋戦争が始まり、ルーズベルト大統領の命令でオーストラリアへ脱出。連合軍南西太平洋方面最高司令官として対日戦に勝利 8. 日本占領の連合国総司令部(GHQ)最高司令官 9. 朝鮮戦争では国連軍総司令官 10.朝鮮戦争に関しトルーマン大統領との意見の相違で解任され、14年振りに帰国。国民的英雄として熱狂的な歓迎を受ける。 11.1960年、昭和天皇より勲一等旭日桐花大綬章を贈られる(外国人として国の元首以外では最高位の勲章) 12.1964年逝去。84歳。盛大な国葬が営まれた。 若い中尉の頃に初来日、大山元帥や乃木大将、東郷元帥に会って彼らの武士道精神、愛国心に感銘を受け、それ以来日本びいきになりました。 昭和20年9月2日、戦艦「ミズーリ号」で行われた日本降伏文書調印式では式委員長を務めましたが、その日の午後、少数の参謀とお忍びで鎌倉の鶴岡八幡宮(武道の神様)に参拝、驚き感激した宮司から贈られた破魔矢を貰って帰った。 宮司の恩田氏のコメント(当時の読売新聞記事から) 「突然の訪問の元帥の動作、言葉は終始おだやかで敬虔な態度を持しておられたのには感服しました。その後も時々米軍の指揮官や兵たちが参拝に来ますが神社の規則をよく守り、公徳心の厚いのには感服します。これもひとえに総司令官の人格が下の方までよく反映しているからではないかと思います」 また、乃木大将の旧邸にハナミズキを植樹、今でもきれいな花を咲かせています。 敗戦直後の日本は深刻な食糧難で、餓死者も出始めていました。マッカーサーは渋るトルーマン大統領を説得して対日食糧援助を実行。南氷洋の捕鯨もマッカーサーの特別許可で米軍用の重油を無償給付し再開。捕獲した鯨肉はGHQの指令で大部分がまず学童給食にあてられた。 ソ連(ロシア)は日本降伏後も北方領土の侵略を続け、更に北海道占領を要求。トルーマン大統領に拒絶されたにも拘わらず上陸作戦の準備を続行。 それを知ったマッカーサーは激怒、連合国代表組織のソ連代表デレビヤンコ中将に「ロシア兵が一人でも日本に現れたらあんたを先頭にソ連代表団を全員刑務所にぶち込みますぞ!」と怒鳴りつけた。 それでソ連はやっと諦めました。でなければ北日本民主主義人民共和国が出来ていたでしょうね。マッカーサーの数々の独断専行を批判する声もありますが、お陰で日本は大分得をしています。 日本は戦後初のオリンピックに参加出来ませんでしたが、自身もスポーツマンだったマッカーサーは日本選手の1949年の全米水上選手権大会出場に助力。挨拶に来た選手団に「勝っても負けても堂々と帰ってきなさい」「しかし出場する以上は勝たないとパスポートを取り上げるよ」と冗談を言って送り出した。 大会では日本選手による世界新記録が続出。日の丸が何本も揚がり、敗戦に打ちひしがれた日本人を喜ばせました。 マッカーサーは日本選手の活躍を賞賛し、「民族の本質はスポーツによく表れる。この大会での日本選手の活躍、態度は、日本人が今後世界の舞台で立派に振舞っていける証しだ」と。 古橋広之進氏(日本水泳連盟会長を長年務めた)は「過分な言葉を頂いた」と感激し生涯マッカーサーを尊敬していたそうです。 太平洋戦争の初めに、マッカーサーは部下を見捨ててフィリピンから逃げたと言うのも歴史を知らない人のウソ。 当時マッカーサーはフィリピン大統領の依頼を受けたルーズベルト大統領の要請でフィリピン軍の育成を行なっていたところへ日本軍が侵攻してきた。 アメリカ政府は取り合えずフィリピンは見捨てる事にしていたのでマッカーサーからの増援依頼は拒否された為、バターン半島、コレヒドール島に篭城。マッカーサー指揮の劣勢なアメリカ植民地軍と未熟なフィリピン兵混合の植民地部隊を率いて歴戦の日本軍相手に善戦。 日本陸軍第十四軍の攻撃はマッカーサー軍の頑強で巧みな抵抗で大被害を出して失敗。航空機や重砲を繰り出した再攻撃でやっと米比軍が降伏。この為に45日でフィリピンを平定する計画が150日もかかり、日本軍の作戦計画を狂わせた。懲罰として司令官の本間中将と前田参謀長は予備役に編入されました。 フィリピン戦での日本軍の死傷は11,000人で、緒戦の他の戦場での被害を大幅に上回った。香港作戦は2100、マレー半島作戦3800、シンガポール作戦5100、ジャワ作戦960、、、フィリピンのマッカーサー軍の抵抗がいかに激しかったを物語っています。 マッカーサーの指揮能力を高く評価していたルーズベルト大統領は対日反攻戦の指揮を取らせる為にフィリピン脱出を命令。最後まで部下と留まって戦うつもりだったマッカーサーは拒否しましたが再度の厳命で脱出、オーストラリアに新設された連合軍西南太平洋総司令部の最高司令官に就任。同時にフィリピンでの善戦を称えられて米軍最高の議会名誉勲章を授与された(この勲章はアイゼンハワーもニミッツ、パットンも貰っていない)。 「部下を見捨てて逃げた」将軍にそんな名誉が与えられるわけはない。そして将軍が一般兵と一緒に捕虜になり、戦争のあいだ捕虜収容所で過ごすのと、脱出し反撃、敵を倒し最後の勝利を得る、、、どちらがいいか分かりますね。 そしてニューギニア、フィリピンと攻め上りすべての戦闘に圧勝(ニミッツの海軍は結構日本海軍に手こずった)。1944年12月に元帥に昇進。 マッカーサー元帥を最高司令官とするGHQの任務は、日本のポツダム宣言条項履行を援助し確認する事でした。天皇を神様とした封建的な国粋主義、軍国主義の日本を、主権在民の平和な民主主義国にする、と。 戦後の復興は日本人が優秀で勤勉だった事が基本にありますが、マッカーサー主導の民主化、経済・技術援助が大きな要素になっています。日本人を骨抜きにしたと言う意見がありますが、「骨抜き」にしたのは日本の軍国主義や封建主義で、日本人自身が一番利益を受けています。 マッカーサーは朝鮮戦争に関しトルーマン大統領との見解の相異で解任されました。マッカーサーの戦略が正しかった事は証明されれており、彼の要請を認可していたら現在の中国・北朝鮮問題は無かったでしょうね。以下を御参考に。第一次大戦でトルーマンは無名の大尉、マッカーサーは大佐で国民的英雄。トルーマンはそれが悔しくてマッカーサーに劣等感を持っていたそうです。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1075967090 なお、結局トルーマンは原爆使用を認可していました。沖縄まで原爆が運ばれ、原爆搭載用のB-29がグアム島まで進出していた。その後戦況が膠着し、休戦交渉が始まった為、原爆は使われなかった。 マッカーサーを解任した事でトルーマンの支持率は22%に暴落。これは今に至るまで米国大統領史上最低で、その為に次期大統領選挙の候補にすら選ばれなかった。 マッカーサーの14年ぶりの帰国は英雄の凱旋で、シーザーのローマ凱旋に例えられて「アメリカン・シーザー」と呼ばれました。 帰国後、マッカーサーは各地で行った演説で日本に好意的なコメントを述べています。 「老兵は死なず」で有名な上院・下院合同議会での演説で: 「日本ほど穏やかで秩序があり勤勉な国はほかにない。将来人類の発展に建設的な貢献をするでしょう」 84歳で逝去。大統領の特別令で前例のない6日間にわたる盛大な国葬が営まれた。そして全国にマッカーサーの名前をつけた公園、橋、学校が沢山作られています。 なお、マッカーサーは大統領に「なれなかった」のではなく、「ならなかった」のです。以下を参考にお読み下さい。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10226811370 (下の写真) ニューヨークでの帰国凱旋パレード。アイゼンハワーの時の4倍、700万の市民(NY市当局の発表)が沿道、ビルの窓々を埋め尽くし紙テープで熱狂的な歓迎を行った。マッカーサーを無能将軍と罵倒するのは御自由ですがアメリカ人はそう思っていませんでした(笑)。

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軍人としては、愚将。 政治家としては、凡人。 ただ、優れたエンターティナーだったというのが 私の評価です。 質問者様のおっしゃる通り、 何しろ武功がないです。 彼独自の戦略などを垣間見える戦は皆無ですからね。 開戦初頭において、 フィリピンで友軍を見捨てて遁走する時点で、 愚将としか言いようがないんですけどね。 また、 彼の戦功の中で、唯一称えられている「仁川上陸作戦」も、 それほど称えられるような戦功とは言えません。 もし、彼が開戦初頭から指揮を執っていて わざと負けを装って後退し、 意図的に相手の補給線伸ばしたのなら すごい戦略だったと思いますが、 そうではありません。 また、 完全に制海権を手中にしている状況ですから、 誰でも考えられるレベルのことだとも思いますよ。 何しろ、 朝鮮戦争に勝てなかったことも 彼の愚将ぶりを証明しています。 マッカーサーは中国軍の参戦はないだろうと考えていました。 しかし、 実際に中国軍は参戦しているのですから、 痛恨のミスを犯したということです。 これだけでも、 愚将と言えます。 また、 中国軍が大軍で押し寄せてきたから敗走したと言われていますが、 弱すぎです。 大戦中、中国大陸で戦っていた帝国陸軍も、 自軍の数倍の数の中国軍と会敵するなんてことは日常茶飯事でした。 しかし、 補給がままならない状態にもかかわらず すべて撃退し、大陸ではほとんど負けませんでしたからね。 ですから、 簡単に後退したマッカーサーは、 愚将としか思えませんね。 また、 マッカーサーが38度線に達しても 進軍を決断し実行したことも愚将の極みです。 名将は引き際を心得ているなんて言われますが、 彼が38度線に到達した時が引き際だったと思います。 あくまでも 北朝鮮の侵略行為を糾弾する立場を明確にするためにも お前まで統一目指しちゃダメだろって感じです。 このことは、 軍人というよりも彼の政治家としての能力の限界を感じます。 もし、 彼が優れた政治家のセンスをもっていたら、 38度線に北朝鮮軍を押し返した時点で停戦し、 戦争を収拾したと思いますよ。 戦争が起きる前の状態に戻し、 それ以後の懲罰などは、国際社会の判断に委ねるということですから、 アメリカが世界の警察である地位を確立出来たと思いますよ。 懲罰までアメリカがしてしまったら 警察ではなくなってしまいますからね。 また、 日本統治についても、 マッカーサーなどはGHQのお飾りに過ぎなかった感じです。 むしろ、 マッカーサーが有能ではなかったために、 GHQ内で内部抗争が起きてしまい、 その抗争を上手く利用して日本政府が巧みに立ち回ったといった感じですからね。 彼が推し進めた東京裁判と日本国憲法ですが、 アメリカ側の視点で考えると 失敗だったと思いますよ。 結果として、 戦後70年以上経った今でも 日本の安全保障を押し付けられていますからね。 私が、 彼が優れたエンターティナーであると思ったのは、 彼の名前を聞いても、 やっぱりサングラスかけてコーンパイプをくわえて 厚木飛行場に降り立った姿しか浮かばないんですよね。 そのシーンですら、 3回ぐらい撮り直したと言われてますから、 本当にただのエンターティナーだったと思いますよ。