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2021/7/21 12:00

11回答

明治時代、博徒をやめた次郎長が清水港の発展のため、茶の販路を拡大するのが重要と訴え、自分でも横浜との定期航路線を営業する「静隆社」を設立・・・とありますが、

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました、いろいろと調べていただいて、勉強になります。 清水次郎長の本当の姿が知りたくて、HPまで立ち上げました。 ぜひご覧ください、 "https://prabhujee.client.jp/jirocho--200.html"

お礼日時:7/24 5:51