釈迦は苦行によって悟りは開けないと断念し、瞑想によって悟りを開いたと聞きました。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

悟りたいという執着もまた煩悩。 それがわかってしまった釈迦さんは、もう無理せず死ぬまでほどほどに暮らせとおっしゃた しかし、坊主も衆生と同じくボチボチ暮らしていては有り難みも何もない 色々知恵絞って浄財を捧げて貰わないと食っていけない。 何千年もかけた伝言ゲームがオリジナルと同じ訳がない

お礼日時:7/24 21:12

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お釈迦様の言う苦行は今の私達が思う苦行とは全くレベルが違います。実際にお釈迦様はあまりに激しい苦行のせいで死にかけていたところをスジャータの乳粥で命を救われました。 お釈迦様の教団では食事は1日1回だけです。私達の感覚で言うとこれも苦行です。 ただし現在の日本の仏教は苦行に否定的になってきています。今でも苦行を行っているのは天台宗と真言宗くらいではないでしょうか。

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釈迦が説いた修行法の一つは、1日1食。 それを毎日、死ぬまでやり通すのは、非常に辛い。 しかも、日本の僧侶は、何かと雑務に忙しくて体力が必要。だから3食食わないとやっていけない。 また、禁欲を守り通すのも辛い。 でも、怠けた態度は見せられない。妻帯するのであれば尚更に。 そこで、比較的短期に過酷な修行をする、それを繰り返すという手法を採用した。 例えば、8日間飲まず食わずの断食をして、それが終わったら3食の生活に戻るとか。 それは誰にでも出来ることではないから、僧侶の格付けに都合がよく、また民衆の信望を得やすい。 瞑想の熟達度って、測るのが難しいけど、肉体的な苦行の達成なら分かりやすい。 とまあ、私はそんな予想をしています。 まあ、それより何より、悟りには苦行が必要というのが自然な発想だと思いますね。 インドの仏教教団で主導的な地位にいる日本人僧侶の佐々井氏は、インドに渡って民衆のために働こうと決意した時、まず8日間の断食を開始したそうです。 そうしたところ、日に日に支援者が増えて、断食をやり終えた後には、インド人仏教徒からの信頼を得たそうです。

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現代のインドでも苦行がたくさん残ってますね その人その人の輪廻、縁起、出会いなのかな?

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釈迦は煩悩を滅すために厳しい修行をしていましたがそのような修行は無駄であることを悟り煩悩即菩提を説いています。煩悩とは欲のことであり、菩提とは悟りを得た仏の境地のことです。煩悩が菩提であるとは仏にも欲望があり苦しんでいる人々を救いたい笑顔にしたいという思いが仏の欲望です。利己的な欲望ではなく利他の欲望であれば煩悩も菩提となるのです。煩悩が菩提となることを成仏と言います。 成仏とは仏に成るという意味で慈悲の心を完全に体現できた人のことです。慈悲とは地獄に在る人に救いの手を差し伸べたいと思う気持ちであり、それを実践するのが成仏の道である菩薩行です。慈悲を体現できるようになるには何度も生まれ変わって菩薩行を繰り返し、一生を地獄に在る人たちを救うために尽くし、そこに無上の喜びを感じるようになった人のことです。例えばマザーテレサとかアフガンで殺された中村医師のような人でしょうか。無上の喜びにまで至らず若干の怒りや悲しみの心を残している人を菩薩と言い、そういう感情をも感じさせなくなると「覚りを得た」と言い仏として尊敬されるようになります。成仏すれば六道輪廻から解脱し天国ではなく極楽浄土に生まれるそうです。ちなみに私にとっての極楽浄土はパラオのクラゲの湖のクラゲですが人によって理想とする極楽浄土は違っているのではないでしょうか。浄土とは争いの無い世界です。 成仏の方法については経典によって多少の違いがあります。浄土宗は「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで死んだら成仏して極楽浄土に行けるそうです。真言宗は煩悩を消すために厳しい修行を課しています。何度も生まれ変わって菩薩行を繰り返すことで成仏できると説いているのは日蓮宗です。経典による違いの理由はインドが厳しいカースト制度(身分制度)によって身分が固定化され、決して身分の変更が認められていなかった為に釈迦は奴隷階級や一般階級、支配者階級など相手の身分に合わせてその人にできる方法を説いたので成仏の方法にも違いが出たのです。これがどの経典を用いるかによって宗派が別れることになった理由です。

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煩悩を克服するために、わざと肉体的・精神的に追い込む過酷な修行を課す宗派もあります。命を落としかねない修行を終えられた方は、それだけ徳が高いので、生仏として拝まれるのです。

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