明治維新って結果論としては後世に生きる僕らに評価されていますけど、当時としては大義も特に無くないですか?

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幕府に対してというより、日本の危急存亡の危機を強く感じた者たちが、日本を守るという大義のもとに弱体化した幕府を見限りそれに代わる新しい政権を作り出そうとした。そしてそのために倒幕したということですか。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

詳しいご回答をありがとうございます。"勝てば官軍、負ければ賊軍"などといった安いセリフで片付けずに当時のそれぞれの大義を考えていきたいものです。

お礼日時:7/25 1:39

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北一輝によれば、日本の歴史は、乱臣賊子論、天皇皇室史観なのです。大政奉還と同時に出された王政復古、討幕の密勅は、大義です。天主様の錦を飾る大義です。日本は、古代より君主制なのです。徳川慶喜は、大きく戦闘意欲を失いました。もう開国を迫られてるあの状況では、江戸幕府では持たないのです。死に体です。明治維新を成したは、下級武士と云うけれで、朝廷の協力無しになし得なかった思う。幕府に期待出来たのは、良くて1860年迄では無いでしょうか?マルクスの唱える唯物史観のように江戸末期は、社会構造を変えなけれいけない過度期だったのです。だから大政奉還し、立憲君主制の基に新政府を発足させたのです。大義と云うか意味をなすのは、勅令ですね。日本の歴史を遡っても、勅令は、其ほど出されていない。天皇親政政治に立憲君主制で戻したかったのですが、実際は、形骸化した経過を辿った感じします。

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ただ、幕府の方も「異国船打払令」を全国に指示し、「蛮社の獄」で開国派を弾圧するなど、日本人の攘夷運動の下地を作っているので、決して幕府に責任がないわけではありません。 その後も、将軍家茂が朝廷の圧力に屈して「攘夷」を宣言し、長州による外国船砲撃の大義名分を与えてしまうなどの悪手を打ち、自ら権威を失墜させる重大なミスを繰り返しています。

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幕末には幕府主導の近代化も行なわれていたのですが、薩長史観では無視されてしまいます。

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黒船来航が有名ですが、実は大阪港にもプチャーチンのロシア船がやって来て、開国を迫られていて、国家の一大事だったのです。身分を問わずに意見を求めていました。お隣の中国はアヘン戦争で香港を取られて植民地化が進んで行くのを見てますし、ヨーロッパではフランスが勢力を伸ばしていました。非常にスリリングな状況だったと思います。鎖国をしていた為に外国人みんないい人と思ってしまった幕府が不平等な条約を結ばされていくのを知識人達は黙って見ていられなかったのです。幕府を止めて、外国と対等に付き合える新しい国家を作るために無血開城の為の根回しは、本当に凄い。だから無駄じゃ無かったと思っています。

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江戸後期には、西日本ではすでに西洋式の私軍があり、勝手にやってくる西洋軍隊と刀以外で戦争していました。 そんな中、江戸に黒船が居座り、不平等条約を結ぼうということになっていました。 西日本の外様は、西洋式軍隊を知っていたので、 中央に西洋に習った対等な軍隊を作らないと、刀で脅したところで簡単に握りつぶされるとわかっていました。 中央に進言するも聞く耳持たず、そのうえ口答えしたと征伐受けたりと、西洋軍隊を持っていたからといって、西日本の武士も、武士の態度としては売られたら買ったのが幕末の事情に繋がったのです。