人間達のために、キリストが罪を背負う必要なくないですか?テレビを観れば毎日犯罪のニュースばかりで。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ご回答ありがとうございます

お礼日時:7/26 20:38

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自分に置き換えれば、イエス・キリストが、十字架にかかって死なれたことは、必須なことに思えます。私も大きな罪を犯したので。

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イエス様 「彼らは何をしているかわからないのです」 イエス様は、人間の行いをわかっていたのです。 現在も 人間は、イエス様の事も神様のこともわからない。 自分の都合で生きている。 何をしているのかわからないのです。…の言葉通りです。 どんな思いでイエス様が磔刑になったのか 痛かったと思います。苦しかったと思います。辛かったと思います。 それでも人間達の罪の為に磔刑となった。 それを心から思えば 申し訳なくて何も出来ません。

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キリスト教は、 人類の始祖は神に反逆して罪人となった(原罪)ので、 その子孫は、あたかも罪が遺伝するかの如く、 全て罪人として生まれてくるようになった、 また、罪の結果は死なので、人類の始祖およびその子孫は 死ぬものとなった、また、神に反逆した罪の結果として、 神と人間との間に断絶ができた、、、 とします。 要するに、キリスト教は、 人類の始祖の罪の結果として、 人類は全て罪を犯さざるを得ないような存在として生まれてくる、 ということが言いたいわけです。 そうすることによってキリストを受け入れることの必要性や意味が 生まれてくるからです。 本来のユダヤ教典(旧約聖書)そのものには、 もちろん、そのような原罪思想はありません。 原罪思想は創世記の物語の特殊な解釈として生まれた 新しい思想(「世々にわたって隠されてきた、秘められた計画を 啓示するもの」新約聖書ローマ16:25)です。 この失楽園物語を原罪思想として解釈しなければならない 論理的必要性は、教祖の死という一大事件に直面したイエスの信者達の 中から生まれました。 彼らは、「自分たちの教祖の死は、敗北ではなく、罪を贖う 犠牲の死であった」という解釈をすることによって、 教祖の死という最大の危機を乗り越えたわけです。 元々ユダヤ教は神に鶏や羊や豚や牛を捧げ物として捧げる宗教なのですが イエスの信者達はそれを彼らの教祖の死に当てはめたわけです。 彼らとって大切なのはイエスの教えやその実践ではありません。 彼らにとって大切なのは、キリストが死んで復活したという事件、 そして、その死と復活によって人類に救いがもたらされたと信じる 信仰です。 口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われる・・・(ローマ10:9) ここにキリスト教の神髄があると言えます。 人は善きことをすることができない存在(罪人)です。 イエスはアダムの失敗をやり直し、 それを信仰することによって人は義と認められます。 イエスがアダムの失敗をやり直したというのは、 イエスが自らを犠牲としてアダムの罪の償いをした、ということですが、 アダムは神に反逆したがイエスは神に従順であった (死にたくないのに神の命に従って自ら身代わりの死を受け入れた) ということも含まれます。 要するに、人は善きことをすることができない存在(罪人)ですから、 人は神の恩寵によってのみ救われる(したがって人はそれを受け入れて 信じるだけ)を意味しています。 このような、教祖の死を「救いの業」として解釈する思想的営みの中から、人間はアダムの犯した罪のせいで、罪を犯さざるを得ないような存在(罪人)として生まれてくるのだ、という原罪思想がかたちづくられていったと考えられます。つまり、アダムによって人類は罪人となり、キリストであるイエスの死によって贖われると解釈することによって、彼らの教祖の死が、犬死にではなく、大変有意義な死となったわけです。

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根本的に、「罪」の意味が異なります。 聖書…キリストの整理した「罪」とは、根っ子であって、ニュースで見る罪は、枝葉の部分です。 信じていても、枝葉迄枯れるのには時間が掛かりますからね。

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