松本清張の「砂の器」は何回か設定を変えて(ハンセン氏病を使わずに。)ドラマ化されてますが、やはり無理が在ると思いませんか?(ただの疾患でなく、当時は業病と思われていた。という点が重要なのでは?

小説 | ドラマ118閲覧

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私もハンセン病(かつての○○病)無しでの映像化は、当然映画と比較されるし、また、○○病と比肩する理由が必要と思われるが、今、果たして在るだろうか?(設定出来るだろうか?)と考えます。他にも他人から嫌われてた疾患はいくつもあります。(結核とか、赤痘、つまり天然痘、ツツガムシ病等々)ただハンセン病は別格で、嫌われてるとか差別されるレベルでなく、「社会的に抹殺される。」が正しいのではないでしょうか?そんな疾患、或いは事情が今あるんだろうか?かつて私が小さい頃、明治生まれの高齢者が言う(○○病)には単なる恐れでは説明つかない感じがしました。確かに小説の中では「ハンセン氏病」の扱いはあっさりしてます。ただ、ある年代の方は○○病と言うだけで、案外説明はいらなかったのではと思います。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

現在、ハンセン氏病、○○病が映像で使えない状態では、映像化は止めた方が良いと私も思います。

お礼日時:7/24 19:39

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実際に原作を読めばわかりますが、原作ではハンセン病の扱いは大変に軽いです。ハンセン病に関する描写はほとんどありません。そのため、単に変わった動機として取り上げただけとしか思えず、ハンセン病患者への差別を訴えようというような意志は感じられません。 犯人も冷酷非情で邪魔になった人物は平然と殺す極悪非道な人間のクズとして描かれており、ハンセン病関係者としての虐待に苦しむ悲劇の人物という描写は全くありません。 ハンセン病の悲劇が前面に押し出されたのは、松本清張の小説『砂の器』ではなく、野村芳太郎監督の映画『砂の器』です。映画は原作の小説を大幅に改変しており、別物と言っていいほど違う物になっています。映画屈指の名シーンである父と子が旅をする場面は原作には皆無です。この改変によって清張作品としては出来の悪い凡庸な原作が、日本映画史に残る名作になってしまった感がありますが。 なお、これ以降の『砂の器』の映像化作品は全て映画『砂の器』を原作にしており、小説『砂の器』を原作にした物は一つもありません。 このように原作から大幅に変えられた『砂の器』ですが、清張自身もこの映画を絶賛したものの、以降の作品ではハンセン病は取り上げない事を映像化の条件にしたそうです。ひょっとするとハンセン病などテーマにするつもりはさらさらなかったのが、前面に押し出された映画が大評判になってしまったことにに色々思うことがあったのかもしれません。 なので、設定を変えているのは原作者の意志であり、仕方がないでしょう。

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映画は何度見てもストーリーはきちんと練られていないのが分かります。原作自体の評価が低いので仕方ありません。脚本のアレンジの仕方が斬新なのと、映像や音楽が秀逸、野村芳太郎監督の演出が見事。で話の完成度は低いです‥

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