なぜ国際連盟は日本の満州国の建国を認めなかったのですか?

歴史 | 日本史133閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

わかりやすく解答してくださりありがとうございます。

お礼日時:9/4 11:10

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例えるなら、中国が沖縄県で琉球事変をおこして琉球国を勝手に建国したようなものですよね。アウトです。

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というか、国際連盟ってのが、第一次大戦に懲りて、列強は既得権益を相互承認し、軍縮を行い、もう強制力を伴う権益の拡大はしない・・・って決めた各国がよりあって作った、集団安全保障体制の機関なのだから、そりゃ当たり前ですよ、としか。 学校って勉強する場所だから、そこで勉強せずに規則に違反することやってる生徒がいたら、クラス会で問題になり先生から叱られる・・・それとおなじで、学校の目的を考えればどこも不思議はないです。 あと、基本ですが、第一次大戦後の世界秩序においては、平和主義、自由平等、民族自決を普遍的価値観とする一方で、日本は国際社会からアジアへの潜在的な版図を承認されてもおりましたから、歴史にあったとおり、満州国には苦い顔しても、結果的には暗黙裏に承諾しております。 (松岡洋右が興奮して連盟を脱退しちゃっただけです。本人はやらかした、これで俺は国賊になると後悔したくらいです) 国際社会が認めたのは、後にアメリカ合衆国が日本と関係悪化しても満州国を了解案に見られるように問題視しなかったことや、東京オリンピックの開催が決定したことで裏付けられるでしょ?

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ヨーロッパには第一次世界大戦後に誕生したばかりの小国がいくつもありました。そのような国々は国際連盟の秩序維持の役割に国の存続がかかっているところがありました。 そのような小国にとって、武力で侵攻し勝手に国境を変えて建国までするようなことを許したら、自国の存続が危うくなるという危機感が強かったのです。 反対に大国イギリスは終始日本に同情的でした。

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松岡洋右は、粘り強く外交交渉を繰り返していました。イギリスはそんな松岡に何度も妥協案を提案しましたが、外務大臣の内田康哉にすべて拒否されていました。 そんなかで日本軍が中国の熱河地方に侵攻したことで、完全にどうにもできなくなったのです。 熱河侵攻をもって国際連盟は日本への勧告を採決しようとしました。勧告がとおれば日本は経済制裁を受けます。 この経済制裁を回避するために日本は連盟を脱退したのです。加盟国でなくなれば経済制裁の名目はなくなりますから。 そして経済制裁は回避されました。 脱退は松岡の責任ではありません。

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1928年に「不戦条約」が結ばれたばかりだったからです。もちろん日本もこれに調印しています。 これは一見すると、「理想論」「絵に描いた餅」と思われがちなのですが、この条約によって、国際紛争を解決するため、あるいは国家の政策の手段として、戦争に訴えることは禁止されることになり、あらゆる国家間の紛争は、平和的手段のみで解決をはかることが規定された(少なくとも国際法上は)、ということに注意する必要があります。 日本の軍人たちは、今まで欧米列強はさんざんごり押しで侵略を繰り返してきたのだから、自分たちが同じことをしようが許されるぐらいな考えで、あまり国際法には注意していなかったのかもしれません(あるいは、陸軍大学校などできちんと講義されていなかったのかもしれません)。 しかし実際には、ここで戦争に関するルールが大きく変わっており、たとえ名目上であっても、国際法違反として批判されるようになってしまったことへの目配りが、もう一つ足りなかったように思います。

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中華民国が、満州族の独立運動を装った日本が作り上げた偽の国家だ、と主張しました。 それに国際連盟の各加盟国が賛成した。

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