初期仏教もしくは上座部仏教において、輪廻している「モノ」とは何でしょうか?

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ご回答ありがとうございます。私もカルマ(カンマ)は認識出来ない方向性あるエネルギーのようなものと考えており、ベクトルというのはしっくりきます。 疑問だったのが、カルマが輪廻するとして、いま自覚している意識もカルマに含まれるものなのか、カルマと紐付いている何かがカルマと共に輪廻しているのか、どういうことなのだろうと思った次第です。霊魂や識は物質というよりはエネルギー的なものと思われるので悩ましいですね。 例えばパーリ語経典長部沙門果経で、宿命通により前世の境涯が観えるとありますが、今の生と前世とを紐付けているものは、何なのだろうと思っています。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様ご回答ありがとうございます。色々なお話を聞けてよかったです。ベストアンサーは明確に「仏典ではカルマ」と教えていただいたpikさんとさせていただきます。ありがとうございます。

お礼日時:9/26 23:12

その他の回答(9件)

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2021/9/24 18:02

末法の衆生は、寿量文底(もんてい)下種(げしゅ)の御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱えることにより煩悩を菩提と開き、六道に輪廻するこなく、九界即仏界して直ちに妙法の功徳を実証できるのです。 https://hokkekou.com/yougo/rokudou/

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2021/9/24 18:04

生前中から死ぬ時に至る善悪の果報を、そのまま死後の世界までもちつづけますから、苦しみ、悩み、あるいは間違った教えにまどわされて死んでゆけば、死後の世界でも苦を感ずるわけです。 それは、生きている遺族の側にもその苦しみや悩みが影響してきます。 私達の身体も、宇宙や一切の森羅万象も、全て「地水火風空」の五大の元素から構成されています。 この五大は、分解してはまた集まり、集まってはまた分解するというように常に離合をくりかえしています。 人間も(動物も)、死ぬと、元の元素に戻ります。 この時、肉体が分解され、無に帰したように見えますが、その命の業は永遠に宇宙の中に生きて行きます。

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原始仏教の輪廻は、私たちの体を構成している物質が輪廻します。 死んで火葬場で燃やされる。 肉は煙となって空に舞い、雨で地面に降り注いで植物の養分になる。 骨は墓に埋葬されるが、長い年月の中でやはり土に還って植物の養分になる。 その植物を動物が食べ、その動物をまた他の動物が食べる。 その動物が糞をし、虫や微生物が食べる。 その虫や微生物をまた他の生物が捕食する。 つまり、分子、原子の単位での輪廻であり、食物連鎖です。 原始仏教ですから諸行無常、諸法無我ですね。 つまり不変の実体はありません。 物質は情報であり、質量や質感は、人の五感による認識の結果に過ぎません。 つまり、本質は人の心と物質も同じ無我です。 そして、六道の輪廻から解脱したなら、物質的執着はありませんから、身体を作っていた物質には自我との因縁が無くなります。 つまり、これでカルマは切れて無くなったことになります。 物質に因縁が無いなら、もうその物質と死んだ人との間には如何なるカルマもありませんので、その物質で出来た新たに生まれた生命には何ら関係性(因縁)はありません。 個人的にそれだと、執着があると物質に何かへばりついているように感じてしまい、非科学的です。 因縁と言う非物質的な霊的なものがへばりついているみたいになってしまうのは良くないです。 そこに関しては哲学として受け止めるべきかなあなんて思っていたりします。

ご回答ありがとうございます。他の方にも原子や素粒子との回答をいただき気付いたのですが、質問で書いた輪廻の定義が明確ではなかったです。 物質(物や体)は物質として移り変わるということは理解しているのですが、質問で書いた輪廻とは、いわゆる一般的な輪廻転生の意味で書いており、真実は無我(非我)だとしても、今自覚している意識が五趣(六趣)へ生まれ変わっていく輪廻の意味で書いておりました。 例えば仏典にて、天界から落ちる、地獄に落ちるや、逆に四悪趣から人界に生まれ変わるといった表現がされておりますが、その生まれ変わるものとは何か?という質問でした。

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あれっ? 誰か知っている人がいると思ったのに。 ずばりアラヤじゃないの? 阿頼耶識だよね。 アラヤだけなら蔵と言う意味でヒマ・アラヤ、ヒマーラヤで雪蔵です。 アラヤには煩悩・悪魔の意味で使われることも有ります。 シャカが生まれる前から輪廻転生説は有りました。 カルマの影響でジーバ・霊我がてんてんと転生を繰り返していきます。 ところがジーバは生まれ変わるたびに過去生の記憶を忘れていきます。 それじゃカルマの経歴を記憶する過去張のようなものがないと困りますよね。 で当時のインド人は阿頼耶識にこれが記憶されカルマの支配を受けていると考えていました。 転生を繰り返す主体はジーバだけどそれだけではカルマは働かない。 記憶された阿頼耶識が必要ですね。 ところで無記について触れている方がいるけれどシャカのいう無記はあてになりませんよ。 なんでか。 たしかに死後の世界、極楽浄土がなんとかかんとかは語らなかったけど輪廻転生からの解脱は仏教の根本目的でしょう。 シャカが寂滅後、輪廻を繰り返して誰かが生まれ変わりになってたらおかしいでしょう? なんとかの科学の教祖さんみたいですよね(^^;) 仏陀、さとり、目覚め、みんな輪廻の鎖から抜け出した覚者を指すのであり、そうでないなら何のための修行かってなるでしょう? シャカが輪廻転生からの解脱を語らないと言うのはおかしな話ですよね。

ご回答ありがとうございます。阿頼耶識というものを知らず調べたところ、大乗仏教の概念としてある「意識されることのない識」なのですね。教えていただいた話は、霊我、カルマ、カルマの経歴を記憶してい阿頼耶識の3つが一体となって輪廻しているという理解をしました。なお、霊我がアートマンだとすると、ダンマパダにて「アートマンではない」と言われており、ここは解釈が難しいと感じています。

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専門家ではありませんが、体験者として、日本人からの観点も含めてお話します。 私は基本的にどのような解釈でも寛容に受け入れています。 ただそのようだと現世での努力や悟りなど、無価値じゃないのかと言われるでしょうからそれに対する答えとなります。 華(人間)として生きるのに そこに生死の意味は無くとも 彩を与えるのが人であり 神を創るのもまた人である。 華を咲かせ多様な色が生まれ出る。 だからこそ仏陀は仰られたのではないだろうか。 「無常だ。しかし美しい」と。

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>初期仏教もしくは上座部仏教において、輪廻している「モノ」 原子や素粒子です。 あなたが昨日食べた魚を構成していた原子が、あなたの肉体になっています。 人間の体は新陳代謝で7年ほどで全ての細胞が入れ替わると言われています。 あなたは生まれた時の細胞は1つも持っておらず、今まで食べたも動物や植物の原子があなたに成り代わっています。 では〈あなた〉という存在は一体、何でしょうか? 仏教はそれを探究する学問です。