出雲大社。 日本の歴史・神話・天皇において、 他のどの場所ではもなく、出雲に大社・大きな神社、 を置いている理由は何でしょうか?

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古事記・日本書紀によると神話の時代には出雲に国津神の大きな勢力があって、そのあとで天孫が支配する世の中になったように読み取れます。 出雲になんらかの大きな勢力があったことは考古学的にも裏付けがあります。ただし出雲大社は実は天孫の神社であり、一般的に言われているほど歴史も古くないようです。本当の古代出雲は別です。 日本の建国史は闇が深いですよ。

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敬っている。というよりも、畏怖している。 出雲の大国主命は荒魂で荒ぶる恐ろしい神様。 三輪の大物主神は和魂で穏やかで恵みをもたらす神様。 出雲には畿内より先に大きな国があり、畿内大和王がこれを征服した。 いわゆる「出雲の国譲り」ですが、 国を譲る代わりに、大きな神殿を建ててくれたら大人しくして居ましょう。 という約束をしています。 逆に、ちゃんと祀ってくれないと大暴れしますよ。と、脅している訳です。 中世貴族の教科書的な「口遊み」という書物に「雲太・和二・京三」とあって高層建築順位では当時、出雲大社が一番だった。 また、出雲境内遺跡が鉄輪御造営図に酷似しており、中世は現在の倍の高さであったとされ、古代の記録は更にその倍で100m近くあり、あるお坊さんの書き物には宮が雲に分け入って見えない。と記述します。 当然ですが宮は都度倒壊した様子で、それでも建て直す。というのは、 敬うというよりも怖くて仕方が無かった。 大国主命は南面する本殿で西向きに鎮座し睨みを効かせる。 今も当時もそうですが、恐ろしい伝染病は西からやってくる。 現在のコロナ過も最初は沖縄、船に乗って横浜へ飛んで来ましたが 当時は大陸から伝搬した病過はゆっくりと広がって来ます。 恐ろしい怖い絶大な神様のパワーで、西からやってくる災難を封じて頂こう。 そんな風に考えたんじゃないかと。 この国譲りは実はもっと複雑で大変なのですが、私は出雲と大和(吉備)との勢力争いに尾張が巻き込まれたと考えています。 一つ、ご紹介しましょう。 出雲大社を奉斎する出雲国造ですが、天皇と同じく「現人神」です。 天皇は日継ぎの儀式を行い神となりますが、出雲国造は火継ぎの儀式を行い国造を継いで神となります。 というよりも出雲国造は死なない事になっています。 国造がみまかる(神様なので亡くなると言わない)と、きちんと着衣して座らせ食事が用意されます。その間に、後継者は意宇の熊野神社へ。ここの神器で火を起こし、一緒に国造家へ帰ります。行きは勝手口からで帰りは玄関から。みまかった先代は国造となった後継者が帰ると同時に勝手口から埋葬地へ出発します。国造は蘇り死なないとされ、その神通力は持ち帰った神の火を使う事で旦保される。まるで300年生きた武内宿祢ですし、もう一つの天皇家のようです。 元々、出雲国造家は意宇の熊野神社を奉斎し、付近の神魂(かもす)神社傍に居館がありました。神魂神社本殿は最古の大社造りで国宝です。古代から中世にかけて出雲の中心地は意宇(松江の南側)であり、国造家は実権も握っていたが徐々に祭祀者とされ現在の出雲へと移って行った。 出雲の中の熊野神社は大和の神様、大和の三輪にある大神神社は出雲神。 ちゃんと縁があるのです。 後の為政者は都合良く歴史書を改ざんし、神と崇められる他の勢力を虐げますが、神社と神様はどうしても改ざん出来ない。それは恐ろしく怖い事です。 特に我が国は天変地異が多い国。何かあったら当時は祟りとされ為政者が攻めを負います。 お願いだから神様大人しくしてください。歴史改ざんも許してください。その代わりに大きな大きな宮を建てますので。という事ではないかと。

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神話によれば、天照大神に対して国を譲渡した出雲の大国主大神のために創建されました。しかも天照大神は自分の子孫であるアメノホヒノミコトを派遣し、大社に仕えさせました。これが代々続いて今の出雲大社宮司です。