『そして父になる』についてです。皆さんが考える続編についてをご意見程度に伺いたいです。

補足

回答、ありがとうございました。 ここで私の見解を述べさせてもらうと、まず現実的な面は置いておいて、野々宮家では慶多を、斎木家では琉晴を今まで通り養育することになったと思っています。交換の後、琉晴の服はまるでかつての慶多が着ていたようなブランド物になっていました。しかしラストの斎木家に行くときの服は、もう少し安っぽい、斎木家を彷彿とされるものでした。それが、恐らく野々宮夫妻の気持ちを表していると思います。「琉晴は琉晴がいたい場所に、ありたいように」と。 野々宮家はみどりの実家に引っ越します。斎木家と野々宮家は毎週のように家族ぐるみで交流をするようになり、小説には良多が「みんなでキャンプに行けたら」と思い描いているように、どこかのタイミングできっとキャンプに行ったことでしょう。そのタイミングで、きっと二人の子供たちに伝えたんだと思います。取り違えの真実と、これからどうしていくのか。慶多も琉晴も実の親と育ての親が違うことはもう気付いていたでしょうが、ここでようやくモヤモヤが晴れる形です。 その後はまた泊まり合ったり、親にできない相談を実の親にしたり。二つの家族は強く結び付き終わります。

日本映画 | 小説175閲覧

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確かにそうですね。 小説の場合、少々ネタバレですが、良多は気に入っていた都心の高級マンションを手放して、妻の実家(斎木家と同じ前橋にある、樹木希林演じるみどりの母が住む)に引っ越すという考えを思い付いています。「それは突拍子もないことだが、良多の心を捉えて離さなかった」と。それが実行に移されたのなら、交流は間違いなく持ち続けているでしょう。 そして、慶多が斎木夫妻をどう呼んでいるのかはわかりませんが(良多には「パパ、ママって呼ぶんだぞ」とミッションを与えられていましたが、呼ぶ描写は映画にも小説にもないです)、琉晴は野々宮夫妻を「お父さん、お母さん」と呼んでいます。これはもう定着しているでしょうから、琉晴には育ての親ほどではないにせよ、親と呼んでもいい存在がすでに二人いることにもなる。 それなら「2人の息子はふたつの家族がある事に納得して育った」というのは一つの最高の続編ですね。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

最も希望を感じさせる回答でした。お陰でなんとなく、私なりの二家族の未来が想像できた気がします。完全に私の趣味趣向の話なのに、付き合っていただきありがとうございました!

お礼日時:10/24 19:56

その他の回答(2件)

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先日アマゾンで見ました。小説は読んでいません。 知人が息子に殺されたので、近親殺人の本を数冊読み、家族とは何かを考えているときにこの映画を知りました。 そして、偶然に、こちらの事件の(自称)当事者とこの知恵袋で応答していて、リアリティーをもって見ました。 https://www.cool-susan.com/2015/10/24/%E8%B5%A4%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E5%8F%96%E3%82%8A%E9%81%95%E3%81%88%E4%BA%8B%E4%BB%B6/ そのせいか、看護師の取り違えはわざとだったというのが、ちょっと。映画としての作り込みの意図として、看護師の子供を出したことに意味があるのはわかりましたが、現実はそんなもんじゃないわけで。もっとも、もしかしたらそういう原因の事例があったのかもしれませんが。 子育てについては、あまりにも類型的な父親像を作りすぎで、その効果があったのかどうか、よくわからない。 それでもトータルとしては画面に違和感がなくスタッフもうまくいっていたように感じました。 現実のこととして考えていたので、実の子を引き取らないという想像はなく、まあ、育ての親については、記憶に埋もれていったのだろうとしか考えなかった。せいぜい年賀状交流かなあ。 それでも、子供は社会人になってからも、こっそり様子を見にいったと思う。それは親のほうも同じで。ここらは初恋の人を探すのと同じで、遠くから眺めるだけで満足するというか、それ以上のなにものもないとは思う。 確か、アメリカで、一卵性双生児がそれぞれ違う環境(家)で育ったときどうなったかの研究があったと思う。人間を決めるのは、遺伝か環境かという問い。何組だったか数十組だったか。結論を覚えていない。 自称当事者の方には、以前の家族と交流があるのかどうかを聞きそびれました。日数のせいで回答もできなくなりました。 僕が映画を見ながらずっと思っていたことは、もうひとつの人生のことです。 映画の家族の問題を離れて、ただ運命によって違った人生を歩むことになった人はどんな人生を送ったのか。もしも、あのとき、と考えるなら、だれしも経験のあることなのですが、特に生活に大きな違いが生じたケースに思いを馳せる。ビートルズのピート・ベスト。ときわ荘の漫画家の寺田さん。あとなんだったか。 どうにもまとまりなく、つまらない回答になりましたが。

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自称モデルの家族が性別も異なるうえに身勝手な感じの人たちでガッカリしました。 映画のご家族はそれに比べたら謙虚です。 育て方は違っても暮らしてた年月ときずなは消えません。しばらくしたら別居を選んだ方の親御さんも、恋しくなるはずです。そこからまた親子関係を築ければいいはずです。

貴重な意見、ありがたいです。 「しばらくしたら別居を選んだ方の親御さんも、恋しくなるはずです」 この描写は作中でもありましたね。良多が、慶多が撮影していた自分の写真を見つけた直後です。この写真を見て良多は「自分が父として慶多を愛していたように、慶多もまた子供なりに自分を愛してくれていた」に気づき涙し、ミッション云々より会いたい、と思ったのかな(あくまで想像です)。 そして野々宮夫妻は琉晴を伴って斎木家を訪れますが、あれは子供を元に戻すとかそういうものではなく、「ただ居ても立ってもいられない」という半衝動的な行動でした(少なくとも小説では)。 そして回答者さんの言う通り、あの並木通りでまた「親子関係がもう一度始まった」のかなと思います。 ちなみに、交流は続けていくけれど良多はこれから慶多を育てていく、それを選んだとして。その後の人生は、どうなると思いますか?