運命は決まっているでしょうか 私は幼少期に父親に虐待、性虐待され 生活保護で育ちました 母は知的障害者です。 14の時父は他界しいまは、幸せな家庭環境にあります。が

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうこざいます 私、馬鹿でした。 頑張ってみます。

お礼日時:10/20 11:51

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キリスト教は自分で運命を変えることはできませんが仏教は運命を変えることができると考えています。その理由は運命の元になる原因はすべて自分が作っているという考え方に基づいているからです。生まれる環境やどういう親の元に生まれるかが決まることを宿命と言います。宿命は変えられないが運命は変えられるというのが仏教の考え方です。 仏教はキリスト教のように始まりも結果も決まっているのではなく、始まりは決まっているが結果は決まっていません。前世にどんな生き方をしたかによって生まれる場所が決まると考えられています。たとえば金持ちの家に生まれるか貧乏な家に生まれるかで運命は違ってくるはずです。仏教は前世の生き方(宿業)によって生まれてくる場所が決まります。それが宿命です。宿命とは命に宿っているという意味で親から受け継いだ遺伝子や生活環境など生まれた場所のことです。宿命は生まれるときに決定付けられているので変えられないが運命は変えることができるというのが仏教の考え方です。生まれた環境の中でどういう生き方をするかで運命は変わるということです。 宿業の業とは行為という意味で業には身・口・意の三業があります。身とは行動のことで、口とは言葉で、意とは思いのことです。思いはいつか行動や言葉となります。この三業を繰り返し行うと宿業となり宿業が来世に引き継がれて宿命になるというのが仏教の考え方です。前世の行いは死んだら消えるのではなくそのまま来世に引き継がれ自分の言動は全て自分に返ってくる(因果応報)ということを示しているのです。生まれ持った才能も宿業なのです。 運命は宿命によってある程度決まるが、宿命は前世の生き方である宿業によって形成される。これが繰り返されることが輪廻転生です。 仏教は生まれ変わるというのが基本の考え方です。生まれ変わるのですから天国や地獄が現実とかけ離れた所に在ったのでは辻褄(つじつま)が合いません。天国も地獄も現実の世界で見ることができます。例えば金持ちの幸せな家庭に生まれる子供と、貧乏で親から虐待されるような家に生まれる子供、この違いが天国と地獄です。他には平和な国に生まれる子供と戦争が絶えないような国に生まれる子供、この違いも天国と地獄です。天国や地獄は生まれる場所のことなのです。 仏教の地獄絵図は比喩です。地獄絵図には火で焼かれたり身体を切り刻まれたり水責めにされたりしている姿が描かれていますが、爆弾で吹き飛ばされたりタバコの火を押し付けられたりすることとなんら変わりはないと思いませんか。罪人を攻めている鬼は怒り怨み嫉妬に駆られた人間の姿を比喩的に描いたものです。子供を虐待する親や戦争で多くの人を焼き殺し傷ける人間が鬼なのです。 誰かに恨みを抱いたまま死ねば地獄に生まれ鬼となるような生活環境で育ち、恨んでいた人の人生の前に立ちはだかり害をなします。これを悪縁と言います。例えば恨まれていた人が恨んでいた人の子供として生まれたら、親が鬼となり子どもは毎日が地獄です。現実の生活においても恨みや怒りや嫉妬は人間の心を鬼に変えます。鬼とは他人の不幸を願うようになった人間のことです。鬼の住む場所は地獄なので自分の生活が地獄へと変化していきます。それは恨みや怒りや嫉妬は自分が幸せになるための合理的な正しい判断をできなくするからです。したがって「許す」というのは相手のためではなく自分のためなのです。 普通の人間が鬼になるというのは、人間の内面には鬼と仏性の両面を併せ持っているというのが仏教の教えです。仏性とは慈悲のことです。慈悲とは地獄に在る人に救いの手を差し伸べたい、苦しんでいる人を救いたいと思う気持ちであり、それを実践するのが成仏の道である菩薩行です。ボランティアも困っている人を助けるのも虐待されている子供を救い出すのも菩薩行です。菩薩行を重ねることで仏性がその人の人格となる。それを「覚りを開いた」とか成仏した(仏に成った)と言います。 人間は生きている内に様々な罪を犯しながら生きています。その中で最も重い罪は恨まれることですが、恨み続けることも相手の不幸を願うようになるので罪となります。天国に生まれるための善行は感謝されることですが、感謝することも善行になります。「ありがとう」と言われることは最も大きな善行ですが、「ありがとうと」と言うことも相手を幸せな気持にすることができるので善行になります。悪行と善行のどちらが多いかまたはどちらが重いかで天国か地獄、又はその中間になるかが決まるようです。感謝されれば良縁となり生まれ変わっても助け合える存在となりますが、恨まれれば恨んでいる人が悪縁となり恨んでいる人の人生の障害となるようです。 前世で強い絆で結ばれた相手とは生まれ変わっても再び会えるそうです。これを縁と言いますが縁には良縁と悪縁があります。人生に成功し幸せを掴んだ人は、人生の節々で支援してくれた人がいたとか助けてくれる人が現れたという話をします。反対に人生に失敗したり地獄の苦しみを味わっている人は、人に裏切られたり騙されたりしたとか、足を引っ張るような人がいたという話を聞きます。これが良縁と悪縁の違いです。縁も因果応報なのです。 どのようにして天国と地獄に振り分けられるのかと言うと、あなたは「天網恢恢疎にして漏らさず」といことを聞いたことがありますか。これはその人の一生を天が記憶していて死んだときに全て報告されるという意味です。年を取るとすることが無くなるので過去の事ばかり思い出すようになりますが、死ぬ直前には全てを思い出すそうです。感謝されたことは楽しい思い出として、反省したことや怨まれたことはつらい思い出として思い出します。 生まれ変わるときは死んでいく時の気持ちと母親となる女性の気持ちが共鳴した所に生まれるそうです。これを感応妙と言います。感応とは相手が楽しそうにしていればこちらも何となく楽しい気分になり悲しそうにしていれば悲しい気分になるようなものです。死にゆくときに多くの人に感謝されながら幸せな気持ちのまま死んでゆけば母親となる女性も多くの人に祝福されながら幸せの中で出産していることになります。反対にだれにも看取られることなく一人寂しく死んでゆけば母親となる女性も一人寂しく出産していることになります。趣味が同じ人が引き合うように同じ境遇の人どうしが共感し引かれ合うのです。ただ仏教では感応し合うのは人間だけとは限らないと言っています。

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運命が決まっているかはわかりませんが、運命は変えられると思います。 幼少期にとても辛い思いをされたのに 今は幸せな家庭環境にあるとありましたから。もちろん、幼少期の辛い出来ごとを忘れることはできないと思います。でも、辛い思いをした分、幸せになって欲しいです。交通事故で死ななかったことは、生きる意味があるのだと思います。人の寿命は誰も予測はできませんので、死ぬ時まで精一杯生きましょう。

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とても共感する想いがありました。 私も幼少期から色々あったり、体に障害も持ってしまい気苦労が絶えない人生に溜息です。 何度も自殺未遂もしましたが今も生きてます。 今となっては、生きててよかった。とは言えないまでも、 生きてる中で考え方の変化は少しづつ起きている事を感じるようになりました。 私の場合は、前世や来世を信じる方なので、来世で幸せを貰うための今の苦労だと考える事が多くなりました。 ストレスが多い人生を生きてると早死にするそうで。 早寝早起きを心がけて早死にしたいと願って健康体になったこともありました。 今はとてもとても辛い心境だと思います。 どなたか心から信頼できる人と巡り会えるとまた心の安定が変わったりします。 赤の他人ですが、あなたの心が穏やかになれる日を心から願っています。