日本史のおはなし。なぜ忠臣蔵(赤穂浪士討ち入り)はおこったのですか?教えてください。お願いします。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

詳しく書いてありがとうございました。

お礼日時:10/25 8:23

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吉良は浅野に塩の作る方を教えてくれと言いましたが、浅野が断ったもんだから、勅使接待の際、指南役の立場を利用して意地悪をしました。 大石は「おい殿さん、かっかならずに菓子折りの下に小判入れて、塩の作り方も 教えたれ。」と言ったのですが、浅野は融通が効かないので断った。 それで、吉良もますます苛めて、とうとう松の廊下でやっちゃいました。 大石は、困った殿さん持つと大変や、と思いながらも、世間体もあるので、 最小限の犠牲で仇討ちにいました。

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その原因となった浅野内匠頭の刃傷事件は誰でも知ってる事ですが、「なぜ討入したのか?」については、私は武家としての実力と幕臣としての地位が逆転してたケースだったからと思います。浅野家は赤穂5万石の名だたる武門だが外様。江戸城内での地位は低い。一方の吉良家は4200石の旗本に過ぎないが足利家の流れをくむ名門で、高家筆頭という高い地位にいた。 実は江戸城内の刃傷事件は松の廊下以外にも数軒あったが、討入という報復があったのは赤穂浪士だけ。他のケースでは例えば若年寄稲葉正休(1万石)が大老堀田正俊(13万石)を、という具合に、武家の実力としても下の者が上を殺傷した。稲葉の家臣たちが立ち上がっても堀田側に返り討ちに遭うのが必至。 浅野と吉良では武力的には浅野が断然上でやれば勝てるという自信があったはずです。「武家どうしの争いは武力で決着」という武家としての面子と勝算が討入に至らせたと思いますね。周りが案外静観してたのもそのせいだと思います。

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「忠臣蔵」はフィクションであり、実際の「元禄赤穂事件」とは別物です。司馬遼太郎先生が、「竜馬がゆく」はどのくらい史実なのかと問われて、「坂本龍馬という人間がいたということだけです」と答えたという話は有名ですが、そのくらい違いがあります。 物語の設定を聞いているのか、それとも史実でどうだったのかを聞いているのか、それをはっきりさせてくれないと答えられません。