神道は宗教とは呼びにくいのですか? 土着文化? 明確な戒律がないため .

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宗教 | 国際情勢107閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

なるほど、ユダヤ教の厳格な戒律の方こそが、むしろ以上かもしれないのですね。 宗教には古いタイプと新しいタイプの両方が存在するようです、やはり神道も宗教であるのですね。 BAに選ばせていただきますね、またお願いします。

お礼日時:10/28 16:52

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2021/10/26 15:27

宗教には、教祖がいます。 そして、その教祖が説く教えを信心します。 本来、宗教は人として踏み行う倫理道徳を説き、善行を行い積徳する教えです。 その積徳の先にあるのが「悟り」です。 神道は、その名の通り「神の道」で、教祖は存在しません。 「神」に対する「信仰心」のみです。 祖神(天之御中主之神)が、孫の瓊瓊杵尊を降し、統治させました。 その子孫が現在の皇族で、その代表が天皇です。 「天皇」は国民の象徴とされ「信心」の対象ではありません。 それ故「神道」は宗教ではありません。 私達には「心」があります。その正体が「霊」です。 「霊」は遥か昔、祖神から生まれた「神の子」で、修行の為に、極楽天より降されました。 しかし、形が無いため磨く事が出来ません。 その為、磨く道具として、肉体(仮体)が与えられました。 この天界そして地球は、人が生活出来るよう作られた修行の為の仮の世界です。 その修行とは、善行を行い積徳することです。その先にあるのが「悟り」です。 修行が終わった者には「悟り」が授けられます。 自己的な勉学や修行の先にあるものではありません。 また、精神的、内面的に何かを得るというものではありません。 この降された霊を正しく導く為に、祖神は孫の瓊瓊杵尊を降されました。(天孫降臨) 三種の神器は、極楽天へ帰る為の物で、本来、「悟り」には形が無い為、それが比喩されたものです。 私達の肉体には「霊」の出入り口が五ヶ所あります。 出入りが出来る「正門=微妙の法門」が一つ、そして此処が閉まっている時の出口としての四ケ所(四門=眼耳鼻口)です。 「悟」の字の、「忄」は霊の事で、「吾」は、我、そして、五つ目の口の事です。 悟りとは、我が霊の在り場所を知る事です。 その場所より、肉体に宿り、生命を誕生させます。 しかし、その場所は直ぐに閉まります。 それは、その場所こそ、唯一、極楽天へ通じる正門だからです。 ここを再び開く事を「悟りを開く」と言います。 その方法が「直指人心」です。 霊が宿りませんと死産となります。 そして、その霊が寿命を終えた肉体から抜け出すのを「死」と言います。 死を恐れるのは、霊は感覚を持ち、不滅で輪廻し、その行き先を知るからです。 肉体に感覚が有るのでありません。その証拠に死産の肉体には感覚はありません。 悟りを開けば「極楽往生」出来なけれは、奈落で霊の浄化に努めます。 「霊」が私達の生死を左右します。 この霊こそ、本当の自分、我(吾)です。 真の故郷、彼岸、極楽天へ帰る為に、人に宿り、正門を経て帰天します。 「人生」人が生まれ、生きる意義、目的は此処にあります。 しかし、人は肉体を自分(我)と誤解し、欲に囚われ、それに奔走する別の生き方をしています。 その為、その戒めを説いたのが「般若心経」です。 悟りは「天機」で、そのものズバリを公言したり、書物に記すことが出来ません。これが「密教」と言われ所以です。 それ故、大仏開眼、神眼を開く、眼横鼻直、正法眼蔵と言われたり、大仏の額に「白毫」を印たり、ダルマに目を入れたりと謎表現をされます。 しかし、それを知るのは、迦葉尊者、アナン尊者等の正統な継承派で、現在も弥勒仏の下生により継承されています。 他は前の教えしか知りません。それ故、悟りは「肉体の救い」と推察し、それに合わせた経典等の解釈をします。 「悟り」は、三つの秘法からからなります。 迦葉尊者に授けられた時は、教外別伝「不立文字、以心伝心、微妙の法門」と言われています。 般若心経の中では「三藐三菩提=三つの小さな悟り」「是大神呪、是大明呪、是無上呪」このように言われています。 現在は末世で、宇宙規模の大災難を前に、ある程度、修行が出来た者へも悟りの道は開けています。 すでに、その前兆は世界規模で起きています。 ここ2、3年の大洪水、森林火災、台風の激しさがそうです。 その為、弥勒仏が下生され、衆生済度されています。 現代漢字の元は象形文字ですが、 これは、5000年前、黄帝の史官の倉吉によって、鳥の足跡をヒントに創られました。 黄帝は、鍼灸を考案し、人々に教えた方で、その功徳により、悟りを授けられています。 「ユンケル黄帝液」の黄帝とは、この方から取ったものです。 それ故、漢字には「悟り」を表す物や関連するものが数多くあります。 当時は、八卦を完成させた「伏羲」や神農本草経の「神農」も、その手柄により、悟りを得られています。 悟りは求める程離れて行きます、善行による前世からの積徳の先にあるのが悟りです。 「悟りの縁」は向こうからやって来ます。 良縁に出会われる事を祈念致します。 下記で釈尊の真の教えを知る事が出来ます。 (参考 悟りと般若心経 谷神一 著書)

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神道が宗教でないのなら、例えばプレスさんやペンタチューチさんに神社参拝を義務づけても何ら本人に苦痛は与えないという事になりますね。 「神」のような超自然的なものの実在を認め、それに祈れば願いが叶うというのは宗教ですよ。 神道に戒律がないというのも嘘です。たとえば皇室に逆らうことはできませんw

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神道は最もありふれた形態の典型的な宗教です。 地域や民族に根付いた土着の氏神信仰の多神教であり、 全世界のあらゆる地域で自然発生した宗教は 同タイプの多神教です。 仏教やキリスト教のように土地や民族にとらわれず 誰でも信者になれるタイプのいわゆる世界宗教とは違い、 神道は日本人しか信者になれませんので 信者数は多いですが世界宗教にはなれないのです。

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なるほど、世界中に自然発生した宗教は神道と似たタイプの多神教が多いのですね。 でも、神道は世界宗教にはなれないようです、回答に感謝です。

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■宗教学上の宗教三大要素(教祖、教典、戒律)を 神道は持っていないとされます。 ■日本の宗教法人法のいう要素(施設、役員、信者、代表者、規則、布教、育成)は神道はすべて満たします。 ■皇室の行う神事は宗教かどうか国会で議論されましたが、布教や信者育成などがないので、宗教ではないという結論に至った経緯があります。

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