日蓮大聖人の御真骨は根こそぎ全て日興上人が大石寺に持ってきたと日蓮正宗大石寺宿坊のお坊さんにお聞きしました。本当でしょうか?

宗教54閲覧

ベストアンサー

1

1人がナイス!しています

ThanksImg質問者からのお礼コメント

御真骨は全て身延山にあるようですね。 お二方には貴重な資料をもとに説得力有る説明で感銘致しました。 ありがとうございました。

お礼日時:10/28 20:48

その他の回答(1件)

1

日興が離山する時、戒壇の大本尊や日蓮の真骨も含めて、すべて身延から持ち出したとする記録はありません。しかしおもしろいことに「返却した」とする文書なら存在します。日興筆とされる『原殿御返事』です。 『追伸です。涅槃経の第三と第九の二巻を、御所で話し込んでいる間に、愚書の中に取り違えて持って来てしまいました。日蓮聖人の御経でございますので、ただちに送り返します』 このように言う日興が、本当に久遠寺の別当だったのでしょうか? 日興が別当であるなら何で送り返す必要があるのでしょう? この文書からは、戒壇の大本尊や日蓮の真骨も含めて、すべて身延から持ち出したという人のイメージは微塵も感じられません。 出来事は、時として、百巻の文献を通りこして、真実を話してくれます。 学研発行の『日蓮』より、 日興の弟子に日尊という僧侶がいました。 日興の講じる日蓮教学を学んでいた時、よそ見をしていた咎で破門の身となってしまってから一念発起して三六か寺を創建し、毎年十月十三日のお会式(日蓮の命日)には、必ず重須談所に戻り、境内の石の上に座して、日興の姿を拝しつつ、一門が唱える読経に唱和したといいます。 重要なのは、ここです。 『毎年十月十三日のお会式(日蓮の命日)には、必ず重須談所に戻り』 寺院の年中行事の中では最重要義儀式の一つである「お会式」を、北山本門寺で行っていたことです。もし仮に、隣の大石寺に日蓮の遺骨が奉ってあったとするなら、日興は、お会式だけは、大石寺でしたはずです。故人の命日の法要は遺骨のある寺でするのが常識でしょう。隣の寺といっても日興が大石寺に遠慮することは何もなかったはずです。 もう一つ、波木井実長が日興にあてた手紙からです。 『私は、日蓮聖人の弟子です。あえて言うなら、老僧たちも、同じ同胞ではないですか。人の道にはずれて、日蓮聖人のお墓をお捨てになられて、その上、罪のないこの私を、ご不審にお思いになるとは、どうしてそれが仏の意思にかなうことになるのでしょうか。お経に苦労したこと、日蓮聖人の慈悲を受けたこと、恐らくは、皆さんには劣らないと思います』(富士宗学要集) 重要なのは、ここです。 『人の道にはずれて、日蓮聖人のお墓をお捨てになられて』 墓を捨てた、つまり【遺骨】はそのままだった。ということではないでしょうか。

1人がナイス!しています