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2021/11/23 19:25

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古代日本の弥生人は中国南部の民族が移動してきたことが確定なのですが、何故韓国がしゃしゃり出てくるのですか?

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質問者2021/11/23 20:15

通ってるのかな? 南部から直接船でくる方がどう考えても簡単で安全なのに半島を通る意味がないです。 さらに言えば今の韓国人のルーツは当時の半島には存在していないのですからなおさら韓国がしゃしゃり出てくる理由がありません。

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遺伝学的に「出雲人」は日本の「東北人」と近い。 ↓遺伝的に近かった出雲人と東北人(読売新聞) https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20171214-OYT8T50003/3/ ↑数年前、島根県の出雲地方出身者でつくる「東京いずもふるさと会」から国立遺伝学研究所にDNAの調査依頼があり、斎藤教授の研究室が担当した。21人から血液を採取してDNAを抽出、データ解析した。その結果、関東地方の人たちのほうが出雲地方の人たちよりも大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。 ↑「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたのです。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出てきた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは否定できない」と指摘。出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。その後、新たに45人の出雲地方人のDNAを調べたが、ほぼ同じ結果が得られたという。 ↓国立遺伝学研究所公開データより

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そもそも、日本の血統は縄文系(オホーツク系つまりアイヌ含む)の他、紀元前473年頃句呉のボートピープル集団移住がある。 これ、記録に残ってる呉王闔閭と越王勾践の大規模な戦争により、呉滅亡、奴隷化を巨舌した呉人は船で移動して、定住した倭地で紀元節を刻み始めた。太陰暦でな・・・ もう一つのグループは、紀元前238年頃の秦王政を燕の偽装降伏で暗殺作戦を仕掛け、失敗し、最早降伏も許されず殲滅くらい、逃げ延びた胡族由来の出雲王朝の連中な。この連中はキム顔で有名でなぁ、正男クンまではそっくりだったのさ。でこれ、実は蒙古の匈奴系なんよ。馬の繁殖と武器の製造が得意で鋼の鏃を実用化してた。 だからですよ、出雲が鉄の国になったのは。 呉系は青銅器文明国だったからね。

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日本人(大和民族)のルーツがかなりわかってきました、朝鮮半島とはほぼ無関係のようです。 金沢大学発表(2021年9月)より、日本人(大和民族)は、 ----------------------------------------------------- 「縄文人」と「黄河人(北京周辺=漢(Han))」との「混血」 ----------------------------------------------------- のようです。 --- あなたが、日本人(大和民族)であれば、あなたの「DNA」は、 ・15%=縄文人由来 ・70%=黄河(漢=Han)由来 ・15%=渡来系弥生人由来(構成は複雑) となります。 ↓現代日本人、3集団にルーツ…人骨の遺伝情報を解析【読売新聞】 https://www.yomiuri.co.jp/science/20210918-OYT1T50186/ ↓パレオゲノミクスで解明された日本人の三重構造【金沢大学 2021年9月21日】 https://www.kanazawa-u.ac.jp/rd/96414 ↓古代ゲノミクスは、日本の集団の三者起源を明らかにする【金沢大学論文】 https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.abh2419#F5 ↓日本人のルーツ発見!”核DNA”が解き明かす縄文人 (サイエンスZERO) https://www.youtube.com/watch?v=Lr9FM3DQ3A0 「日本人のルーツ」について「金沢大学」の「研究報告」が、早々と「中国(中華人民共和国)」で話題となっています。 ↓日本人のルーツに興味を持つ人が多い中国、新説にも興味津々(Searchina 2021-09-30 11:12) http://news.searchina.net/id/1702470?page=1

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◎縄文時代 縄文時代に森林で縄文人(ミトコンドリアN9bやM7a、Y染色体D1b)が縄文文化を営んでいました。長江下流から西日本にかけて照葉樹林が茂り、照葉樹林文化が栄え、いも栽培や焼畑や陸稲栽培や納豆や餅や絹や漆や歌垣やハイヌエレ神話などを営みました。長江下流では倭族主流(Y染色体O2)の下戸遺伝子が増え、長江文明が栄え、温帯ジャポニカ米の水田稲作や鵜飼や貫頭衣や高床住居や鳥居や蛇神信仰やしめ縄や天岩戸神話やヤマタノオロチ神話や海幸山幸神話などを営みました。東シナ海沿岸では倭族の海人(あま)族(Y染色体O1b)が雑穀栽培を営み、入墨をして漁労も営み、国生み神話を伝え、黄海沿岸に広がって、朝鮮半島との間で雑穀栽培や漁労や交易や海賊を営み、遼東半島で華北人(ミトコンドリアD4)やツングース人(ミトコンドリアD4、Y染色体C2)と混血して、遼寧青銅器文化や匈奴のガラス工芸品やアルタイ系建国神話やタカミムスビ信仰や黄泉国神話を学び、朝鮮半島西南部で支石墓を営みました。 ◎弥生時代 海人族は朝鮮半島から更に済州島や対馬に渡来して、ミトコンドリアD4やY染色体C2やY染色体O1bや入墨や刻目突帯文土器や無紋土器や遼寧系細型銅剣や匈奴のガラス工芸品や支石墓や太占や馬鈴をもたらましたが、馬は持ち込めませんでしたので、馬鈴は祭器の銅鐸になり、国生み神話やアルタイ系建国神話やタカミムスビ信仰や黄泉国神話ももたらしました。 倭族主流は黄河中流の漢民族の諸国に攻められて四散し、山岳地帯の少数民族やインドのタミル人や東南アジアのモン族やタイ族になり、済州島や対馬にも渡来して、倭人=渡来系弥生人になり、Y染色体O2や下戸遺伝子や温帯ジャポニカ米の水田稲作や鵜飼や鉄器や貫頭衣や高床住居や甕棺や鳥居や蛇神信仰やしめ縄や天岩戸神話やヤマタノオロチ神話や海幸山幸神話などをもたらし、朝鮮半島南部に水田稲作を伝えて、オクキョン遺跡になり、北九州の縄文ムラにも水田稲作を伝えて、菜畑遺跡になりました。 これらの渡来系弥生人は九州や本州や四国に弥生文化を広げました。中でも海人族は北九州や山陰や北陸や近畿に銅鐸を広げましたが、そこには縄文系遺伝子も多く残りました。又倭人は北九州や瀬戸内に銅剣や銅矛を広げました。渡来系弥生人は人口が縄文人より増加し、縄文人と混血して弥生人になりました。 ◎古墳時代 高句麗や百済の渡来人が九州から、新羅の渡来人が出雲から広がり、鎌や機織具をもたらし、漢民族(y染色体O3a2c、ミトコンドリアD4)も渡来して、弥生人と混血し、日本人=大和民族になりました。百済の渡来人は百済系の須恵器をもたらしました。新羅の渡来人は新羅系の須恵器や玉やガラス工芸品をもたらし、神籬(ひもろぎ)ももたらして神社の元になり、天日槍説話になりました。 高句麗の積石塚が駕洛古墳群になり、高句麗の渡来人が倭国に古墳文化や三神界思想や「三種の神器」制度をもたらし、倭国は平原1号墳に三種の神器を祀りました。倭国は那珂八幡古墳を営んで、前方後円墳の源になり、支石墓は竪穴式石室になりました。高句麗からの渡来人は出雲に方形墳をもたらして、四隅突出型古墳になりました。吉備なども古墳を営みました。 高句麗や百済からの渡来人が倭国に横穴式石室をもたらし、鋤崎古墳になりました。高句麗や百済からの渡来人が倭国に装飾古墳や直弧文や石人・石馬をもたらしました。 百済は倭国にシベリア起源の冠や、靴や銘文鉄剣を贈り、江田船山古墳に副葬されました。 ◎飛鳥時代 ヤマトの都の飛鳥は加羅や百済や新羅の渡来人が占め、飛鳥貴族から律令官人への転換に当たり、百済系と新羅系が主導権を争いました。 ヤマトでは新羅系が主導権を握り、国名を日本とし、その王を天皇と改め、東国農民を防人として、倭国に送って滅ぼし、西日本を統一しました。

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韓国では儒教朱子学の影響により、物事の正解は初めから決まっていると考えています。 よって、韓国人とっての「正しい事実」というのは「初めからある前提」なのです。 我々の感覚では「事実」というのは、研究をしたり証拠を集めたりして、明らかにしてゆくものです。 しかし韓国においては「事実」は「前提」なので、初めに『こうでなければならない』と設定し、それを「正しさ」の出発点として物事の思考を行います。 そのため「事実」は決定事項なので、それを覆すということができません。 また、韓国は同じく儒教の影響で、上下関係や序列というのを非常に重要視しています。 そのため、韓国は前提を覆す(間違いを認める)と、学問の能力の無い序列が下の国となってしまうと考えるので、間違いを認めるということを絶対にしません(※)。 韓国においての学問や、歴史研究というのは「韓国にとっての前提」に従って、その主張の根拠や解釈を新たに作り出し、自国の権威をいかに上げられるかや、外国の主張をいかに黙らせることができるかに注力することであって、我々のような真実の探求ではないのです。 (※)より重要な上位に位置する前提(正しさ)を守るために、下位の前提を『無かったこと』にするときはあります。ただし、無かったことにはしても、間違いを認めるということはありません。