真実は大切ですが、残酷な真実よりも優しい嘘の方が尊いこともありますか? .

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ベストアンサー

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

なるほど、事実誤認をする人をなじることは良くないですね。 一時悲しむとしても真実を告げるべきか、悲しませないように嘘をつくべきか、明確にはぜひは分からないようです。 皆様の様々な回答に感謝です。

お礼日時:2021/11/30 19:14

その他の回答(3件)

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これっておばあさんの家族の自己満足になるかと思います。 例えば、おばあさんが真実を知りたいと願っていたらこれは『優しい嘘』ではなく家族が納得するための『ただの嘘』になります。 『優しい嘘』と判断するのはあくまで嘘をつかれた人が事実を知った時です。 それ以外は『ただの嘘』でしかありません。 例えばおばあさんが『余命僅かだから真実を知りたかった』という強い想いがあったとしたら真実を伝えることが『優しい』と判断できるのです。 家族が亡くなり悲しむのも人としての権利になります。 その権利を奪うことは間違いかと思います。 考え方は人それぞれであり、ある人が優しさで行ったことがもとで怒り出すということもあります。 ある一定の価値観だけで考えないで多角的な価値観をもつことは人として必要かと思います。 よって、相手の為につく『優しい嘘』というものはないかと私は思います。 嘘をいう本人の自己満足のための『優しいとする嘘』はあるかと思います。 因みにですがこの考え方は相手に認知症があるか無いかは関係ありません。 人として知る権利は全ての人にあります。 その権利はその人の尊厳に関わることでもあります。 尊厳を尊重するならきちんと伝えることが必要かと思います。 一介護福祉士からでした。

なるほど、「優しい嘘」ではなく、「優しいとする嘘」があるというのに過ぎないかもしれないのですね。自己満足でもあると。 知る権利を侵害してしまうことにもなりかねないと、勉強になります。 多角的にみることが必要なようです、回答に感謝です。

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「嘘も方便」という言葉があります。嘘をつくという事は普通はよくないことだが、時と状況によっては嘘をつく事が必要なこともある 。 お釈迦さんも修行者には解脱を説き、その他の修行ができない者には生天(天にうまれること)を説いたのです。 真理は一つなのだから完全にダブルスタンダードです。