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2021/11/26 20:54

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忠臣蔵の討ち入りに、江戸の町人たちが拍手喝采したと聞きましたが?赤穂浪士47士の墓に、初めはお参りに来る人も無く荒れ果てていたと言う記録がありますが、それはなぜですか?

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赤穂浪士を称賛したと言うより、吉良上野介が討ち取られたことに拍手喝采したと言う面が大きいからだと思います。 吉良上野介は所領一万石未満のいわゆる旗本でした。この旗本というのが江戸の町人の間で非常に嫌われた存在だったため、旗本がひどい目に遭った=ザマァ見やがれ=ひどい目に合わせたやつを讃えてやれって具合ですね。 でも、その後赤穂浪士が切腹したところで、旗本がひどい目に遭ったのを喜んだだけで、赤穂浪士が本懐を遂げたことを称賛していたわけではないから、別段墓を手入れしようという考えにならなかったのだと思います。 似たような理由で讃えられたのが、鼠小僧次郎吉ですね。彼も、実際は庶民に盗んだ金をバラ撒くようなことは一切せず、吉原などでの遊興費に全て浪費しています。しかし、彼が盗みのターゲットにしたのが大名旗本の屋敷であったため、江戸の町民から嫌な武士に一泡吹かせたという点から称賛を浴びました。

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>江戸の町人たちが拍手喝采した 嘘です。 五十年後に作られた「仮名手本忠臣蔵」が大ヒットするまで、存在すら知らなかった人が多かったほどです。 なにしろ、事件直後にも戯作、お芝居、つくられてますが、まるっきりヒットしなかった。たまたま何本目かの「仮名手本」が超絶大ヒットして、それが現在まで続く赤穂浪士のイメージをつくりました。 ちょうど、司馬遼太郎が「龍馬がゆく」を書くまで、日本人のほとんどが坂本龍馬を知らなかったのと同じ現象です。

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忠臣蔵は戯作ですね。勧善懲悪の江戸っ子好みの劇なので、悪役が倒されると拍手喝采するでしょう。 赤穂浪士の史実とは別だったと思います。

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とばっちりを恐れたためじゃないでしょうか。 墓参りなどをしていて吉良家の家臣に見られたりしたら 絡まれる恐れは十分にあったでしょう。