三つに分けて、説明させてもらいます(^^)
①先ず、“なぜ自分の功徳”を願文(経筒)に刻んだかです。
コレは、、“自分が積んだ功徳(“良い報い”の元となる行為)”を、弥勒仏に伝えるためデス。
つまりその“功徳”で、道長は“弥勒の世界に生まれ変わりたい(“弥勒上生説”と言います)”と願ったのです。
・・・・・※弥勒上生:弥勒菩薩は、釈迦の次に“悟り”を得る菩薩(“未来仏”という言い方も)で、兜率天(とそつてん)で“その時”を待っていると。そして“その時”には地上に降り立ち、人々を救う説くと(“弥勒下生説”)。・・・ただソレは、56億7千万年後なんです(^^;)。・・・ソコでそんなに待てないと、自ら“兜率天”に生まれ変われるとしたのが、“弥勒上生説”!・・・なので道長は、“ソノどちらでも対応出来るよう”に、『弥勒上生経』・『下生経』各1巻を筒の中に納めています(・・・道長の性格がなんか分かりそう!・・・つまり“保険”をかけるタチ)。
②“末法との関係”です。
道長が金峯山に向かったのは、1007(寛弘4)年。
当時広く信じられていたのは、1052年・末法突入説!
そんなんでその100年前から都では念仏も唱えられ、また将門の乱なんかもその予兆と信じられていましたよね。
・・・ですから“そつのない道長”ですので、『阿弥陀経』も同じ筒に入れています。
・・・・・※道長と浄土信仰:道長自身、末法の世の到来を意識し、“法成寺(ほうじょうじ)”という、阿弥陀仏を祀る金ぴかのお堂(阿弥陀堂)を建てています(1019年に出家し、1022年に建立)。・・・また彼が更に没するときには、阿弥陀仏(九体並べ)の指に結んだ糸を掴んで、往生していきます。
③“金峰山に埋経した理由”です。
金峯山寺に祀るのは、“蔵王権現”。
そしてこの“権現(権[かりに]その姿で現れた仏)”は、㋐釈迦の化身・㋑弥勒の化身とも信じられていたのです。
なので、いわば“弥勒の聖地”が金峯山なんで、この土地しかなかったのでしょう。
ですから道長は経筒の埋納後、蔵王権現が出現したという山頂の“湧出岩”と呼ばれる巨岩にまで脚を伸ばしています。
こんなんでどうですか(^^)/