忠臣蔵のお話は実話でしょうか。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

お返事どうもありがとうございます。

お礼日時:2021/12/6 6:31

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脚色を除けば、 ・浅野内匠頭による江戸城内通り魔事件 吉良とは関係なく、内匠頭は元々精神を病んでいた。 ・吉良邸襲撃テロ事件 浪士たちの動機は再就職のためのアピール。 という事件が存在しました。

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吉良上野介を浅野内匠頭が斬りつけ、刃傷沙汰を起こした。 それを理由に浅野は切腹し、赤穂藩はお取り潰しになった。 大石らが吉良屋敷に打ち入って吉良を殺した。 大石らは後日、切腹して果てた。 事実なのはこれだけです。 あとはほとんどが創作です。

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赤穂浪士47人が亡君の仇を討つため、かたきの屋敷に討ち入ったことは 歴史的事実です ”実話”ですヨ ただ、いくつか芝居用に脚色されて伝わっている点はあります まず、当日、雪は降っていません たしかに残雪はありましたが、当夜は明るい月が出ており、道端に降り積もった雪を照らすなかで吉良屋敷への討ち入りは決行されました 加えて、彼らの”衣装”が史実と異なります のち、幕末期に新選組が「忠臣蔵」をまねして袖を山形に染めた隊服を大丸呉服店であつらえたことは有名な話ですが、実際の赤穂浪士たちにそのような潤沢な資金があろうはずもなく、めいめい闇夜に同化するためか、黒の小袖を着用していた、というのが事実です 袖の縁には斬り合って闘死したさい素性がわかるようにと、それぞれ墨で氏名を記した白いサラシ布をつけ、さらには刀や槍など、刃物から身を守るために胸部や胴部は鎖帷子(くさりかたびら)で、手足は鎖の入った手甲(てっこう)と 脚絆(きゃはん)で固め完全防備につとめます 鎖は念入りに個々の帯の中にも仕込んであり、こののち激しい斬り合いが展開 されたにもかかわらず、おかげで47人中、死者は1人も出ませんでした 討ち入り装束については、参加した者のうち、ただひとり”高田馬場の決闘”で 実戦を経験したことのある堀部安兵衛の提案によるものだった、といわれますが、真偽のほどは確かではありません また、芝居では大石内蔵助が襲撃の合図に山鹿流陣太鼓を叩きますが、実際は 誰も太鼓などは持参していませんでした 以上、真実の「忠臣蔵」にはざっとそんな裏事情があった、というお話でした

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一部実話ですが、浅野内匠頭は即日切腹なので詳しい事は分かってません。 何故浅野吉良上野介に遺恨を抱いたのか? 何故、浅野家臣300人ほどの中で47士だけが仇討ちしたのか? さらに、吉良上野介は襲われた側なので、何故仇討ちとされるのか?一方的に通り魔の様に襲われる事を喧嘩とは当時の武家法でも言いません。 又、仇討ちとは、殺された父や兄の為のものなのに家臣達は主君とは言え、他家である浅野の為に仇討ちする大義名分がどこにあったのか? それらを想像で補ってるのがドラマや芝居です。