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江戸時代の一般庶民の暮らしで 食事は朝食と夕食の二食であったと 以前誰かから...

ncx********さん

2009/4/2122:06:34

江戸時代の一般庶民の暮らしで
食事は朝食と夕食の二食であったと
以前誰かから聞きましたが
本当でしょうか?
また平均寿命はやはり、人生50年と言われるように
50才位だったのでしょうか?

当時の統計のような資料でも現存するのでしょうか?
よろしくお願いします。

補足回答とても参考になりました。
今あたり前に食べ、あたり前に暮らしているこの時代
物に対して希薄になりがちな感謝の念のようなもの
もっと持ちたいと思います。

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ベストアンサーに選ばれた回答

jas********さん

2009/4/2123:18:48

江戸時代は基本的には一日三食です。江戸時代以前は朝・夕二回しか食事をとらず、江戸時代に入ってからもその慣習は受けつがれました。江戸時代前期に著された井原西鶴の「浮世草子」の諸作品やその他の史料には、一日ニ食の風がしばしばみえていますし、当時単に「朝夕」といえば、それがそのまま食事のことを意味したほどです。「朝夕」の食事の時間は、朝が午前八時、夕が午後二時頃だったといわれていますが、夕を午後五時頃とする説もあります。この一日ニ食の慣習が崩れ、一日三食が一般に行われるようになったのは、元禄時代(1688~1704)に入ってからだとされています。なお、討ち入りの後、各大名家に赤穂浪士がお預かりになっていた時、出された食事が三食でした。

当時の赤穂浪士に出されたメニュー(長府藩毛利家の場合)

・料理朝夕ニ汁五采

・昼菓子一度出る

・挽茶煎茶望次第出之

・夜食一汁三菜、或いは粥或いは奈良茶

最後の条に「夜食」と記されていますし、最初の条に「朝夕」とありますから、赤穂浪士は一日に三度食事を摂っていたことになります。このようにして、「朝夕」に「夜食」が加えられたのが一日三食の原型であり、それがやがて朝・昼・晩という、現代まで続く食習慣へと発展していったわけです。

また、当時の江戸の庶民は、朝がご飯と味噌汁、昼が朝の残り物で済ませ、夜がご飯、味噌汁と野菜の煮物などのおかずが一品程度でした。
ちなみに大名家では、柳沢家の「柳沢秘蔵雑実記」によると、「朝は一汁三菜、夕御膳は一汁五菜、御夜食は一汁三菜、朝夕共に随分軽き品被召上候」とあります。浅野長勲の場合はもっとひどく「朝は焼き味噌に豆腐、昼と晩は一汁ニ采」と証言しています。

それと江戸時代の平均寿命は、時代によって変化があると考えられますが、およそ45歳程度だったようです。江戸時代の平均寿命の統計は分かりませんが、各時代の平均寿命の資料がありましたのでご覧下さい。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3863/tyouzyu.html

質問した人からのコメント

2009/4/25 09:14:40

抱きしめる 平均寿命を引いて余りの人生も有意義なものにしたいです。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

oni********さん

2009/4/2123:22:51

本当です。江戸時代の一般庶民の暮らしで、食事は朝食と夕食の二食でした。其れに比べて、今の日本人は大して労働もしないのに3食を機械的に採っています。此れは食べ過ぎです。よって内臓に過度な負担をかけて多病で慢性化しているのです。3食制は要するに強欲になっただけで、健康的とも言えない。

また平均寿命は、「人生50年」と言われても、50才位だった訳ではなくて、系図を散見する限りは70歳くらいが結構多かったと思います。ただ幼児死亡率が高かったので、平均すれば、もっと低下するかも知れません。だけど、半病人で頑張って無理に長生きするより、早く死んで、またまっサラの新生児として生まれ変わったほうが得ですよ。

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