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2022/1/4 16:30

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硫黄島を攻撃する際、アメリカ軍は何故割に合わない数の兵力を投じたのでしょうか。

世界史 | ミリタリー1,003閲覧

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孫氏の兵法では寄せ手は守兵の10倍とされていて、日本軍守備兵20,933人、米軍250,000人で少し余裕を持たせた程度ですね。

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2022/1/9 15:26

護衛戦闘機がないB29爆撃機が首都圏を爆弾していたので、航続距離が長い護衛任務できるP51ムスタング戦闘機の離着基地として硫黄島が必要でした。そのためになんとしてでも占領したかった。 占領後はP51戦闘機の基地だけでなく、被弾や故障したB29の緊急着陸基地になりました。グアムや沖縄まで帰投できない爆撃機も出てきますよね。

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2022/1/9 15:28

爆弾していたので→爆撃していたので

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>小さい島を攻撃するには多いと感じました。 ご指摘の通りで、軍事学には強固に防御された陣地を攻略するには3倍の兵力が必要という常識があるとはいえ、ランチェスターの法則からも多過ぎると思われる兵力です。 日本の戦国時代に行われた厳島の戦いが象徴的ですが、この兵力だと奇襲などで混乱が生じると、同士討ちが随所で発生し、却って敗北となる可能性が高まってしまいます。 それを無視してまで、大戦力を投入した理由を理解するためには、ペリリュー島の戦いを理解する必要があります。 ペリリュー島以前まで、日本軍の島嶼防御戦は海岸線に強固な防御線を構築し、上陸する前にやっつけようとする水際作戦を採っていました。 この戦法だと、上陸自体を阻止でき、味方の被害は少なくて済むと日本軍は考えましたが、やってみると、艦艇からの艦砲射撃と航空機からの爆撃で、防御線は簡単に破壊され、上陸を許した後の日本軍には防御線はありませんから、後はバンザイ突撃をするものの、敵の機銃掃射で全滅、玉砕するしかありませんでした。 それをペリリュー島の戦いでは縦深防御と言って、いったん敵兵を上陸させて、それをゲリラ戦術で一人一人斃していくといった戦法に変えてしまいました。 作戦遂行中に分かったことが一つあります。それは米軍が大砲や戦車、装甲車といった日本がやられたくないと考える重火器よりも、兵士をやられることの方を嫌がるということです。 日本軍は兵士がやられても、その分召集令状の葉書一枚で補充できるが、重火器は材料の鉄などが不足していて、簡単に補充できないと考えていましたから、かなりの驚きだったようです。 米軍はペリリュー島の戦い終結後も日本軍の情報収集を徹底します。作戦に関する文書はほとんど焼却されていましたので、中心は戦死者の日記だったようです。 それらの解析から、硫黄島での日本軍を想定し、負傷者を後方に移送する人員も考慮しての人数と考えられます。 兵士が戦場で死んでくれれば、しばらく放置することも可能ですが、負傷者を放置すると士気が下がると米軍は考えるのです。 そのため、一人の兵士を救出するために、より多くの戦死者を出した事例は少なくありません。 一人の負傷した兵士を救護のために後送する。担架なら戦闘可能な2人の兵士も担ぎ手として後方に下げることとなります。 そういった人数も考慮しての戦力です。

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硫黄島をとればP-51が日本本土まで飛行できるようになり、B-29の護衛ができるんですよ 対日戦争の趨勢を左右しかねない戦略上の要地ですから、万が一にも失敗することのない莫大な戦力を投じて確実に落としに来たんです

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