終戦後帰還した人たちの当時の状況について知ってる人に質問です。
終戦後帰還した人たちの当時の状況について知ってる人に質問です。 当時、召集された人たちは国のために死ぬという状況で出征して多くが戦死し終戦後帰還した人もいますが帰還した人は家族がいれば、家族には生きて帰ってくれてよかったといわれたと思いますが近所や親戚はどう思ってたんですか。 国のために死なずに帰ってきたのは非国民だという人もいたんですか。 終戦当時小学生だった人から話ききましたが1日にして言う事がかわって国のいうことは信用できないと言ってました。 戦時中ずっと治安維持法下でコントロールされてきた国民は今からしたらありえなない考えで国のために死ぬ、既に戦況悪化してるにも関わらず勝ち続けてるように情報統制され、そう思い込んでたので終戦で実情がわかり180度見え方がかわったと思うんですがそれでも富国強兵を信じてた人はいたんですか。 日本は当時アメリカから石油輸入してたのを全面停止され戦闘機製造もできなくなり燃料もなくなる中、一般家庭から鉄製品を集めてた話ありますがこの時点で既に戦況悪化してるとわかってた一般人いたはずですけど物言える状況ではなかったんですよね?もし誰かにそんな話してたら誰かが軍に密告して逮捕されたんですか。 学校で教わる第二次世界大戦は細かいことは教わらず当時の国民生活やどんな考えだったかまではわかりません。最近ききとり調査や日記などからわかってきましたが戦火を運よく免れてその後長期保管してないと残らないので実際それほど多くは残ってないようにみえますがどうなんでしょうか。 当時の新聞が図書館にあるのでみましたが縮刷版でかながふられてるので字が潰れてて見出しの文字くらいしかよみとれません。しかも漢字が旧字体なのでよめないこともあり予測でよんでますが何かいい方法ありますか
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折角出征から生きて帰ってきたのに、田舎の家族からはすでに死んだものとして扱われて「葬儀も出したから此処にはお前の居場所は無い、世間に顔向けできないので出ていけ」と暴言を吐かれた人も少なからず居たみたいです。冷たいですね。 生きて帰って来て、「なんで戻って来た?この穀潰し」と周囲になじられ、社会にも適合できず愚連隊(暴力団)に身を落とした人も多かった。だから戦後しばらくは治安が悪化した。 うちの親が昭和9年生まれでして、まさにその戦時を実体験しています。 その通り、1日にして、まず学校の言うことが唐突に180°変わりました。「お国の為に死ね、七生報国」が、敗戦後たちどころに「民主・新日本」ですからね。 それで生徒たちは今まで"軍事教練"と称してキツイ体罰いじめを受けていたから、とくに精神論・根性論を説いていた体育教師は目の敵にされて「俺たち全員でボコって階段から突き落としてやった、危うく感化院(少年院)送り」って武勇伝を語っておりましたね! 一般国民は物言えぬ…と言うか、今と一緒です。社会的制裁を恐れて自主規制、空気を読むというやつ。それでいて敗戦後に自由になった途端「ほらみろ、やっぱり負けると思った」の大合唱。無責任な国民性です。 うちの親いわく、政府・軍部の大本営発表なんて「本当は誰も信じてなかった」そうですがね。だって、毎日空襲があるのにラジオや新聞では威勢良く大層な戦果ばかり報じてるのです。「敵艦何隻轟沈!敵陣陥落せしむ!」。 「それなら、なぜ空襲が止まないのか?あのB-29爆撃機はなぜ悠々自適に帝都・東京の空を飛んでいられる?迎撃部隊は何処にいる?」そんなの子供でもオトナは嘘を言ってるなと分かることです。 もちろん、そんな事、うっかり口が裂けても言えません。当時は特別高等警察(特高)という秘密警察があって、隣組…密告ですね。まわり近所のおばさん連中の監視の目が常にあって、ともすれば非国民、スパイ、共産主義者として逮捕・投獄です。汚い人間に嵌められて密告された人も居たでしょうね。 私の会社の上司にも「父親が教師で、かつ共産党員だったため戦時中は反体制派として捕まって、ひどい拷問を受けて、その傷がもとに死んでな…国に殺されたんだ」と聞きました。 それと、当時は軍人が威張り散らしていて、権威を盾にして無銭飲食するような悪い軍人も居たそうです。ちょっと注意されたからといって、憲兵隊がサーベルの柄で相手を理不尽に血塗れボコボコにする場面をうちの親が見ています。敗戦した途端、それが一転してGHQのアメリカ進駐軍相手にヘコヘコしてる訳で…。 そんなですから、子供達の心に人間や社会体制への不信感が強く植え付けられたのです。
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今まで見聞きしてきたことが本当なのは事実としてあったんだとわかりますが悲しい現実ですね、戦時中が悲しくないわけないので当然ですが。 原爆投下された広島、長崎と地上戦の現場になった沖縄ではまだ健在の人たちが学校などで話をしてますが高齢化でへってきてますね。生の声をきける年数がもう限られてるきてる中、まだ残していくべきものがあると思うんですが残りの時間どれだけ何をききとり、当時のまだ未発見資料がみつかるかですね。当時の一般人の生活の様子、何を思い戦争をみてたかわからないことが多いので、個人からえられる情報がまだ十分でないと感じます。そうはいっても辛い過去を進んで語りたい人はいないと思うので難しいですね。 時代が違っても言いたいこといえないのは今も同じですね、安倍政権で共謀罪法勝手に成立してしまい76年前に逆戻り。なんで戦争ない時代に治安維持法また作るっておかしいです。
質問者からのお礼コメント
返信も色々回答下さりありがとうございます。 中・ロシアのような社会主義はどうかと思いますが日本は社会主義のいいところとりいれた感じですかね。 日本人は1億総無責任社会、本当にそう思います、それと、この国で変化を求めるなら内側からは決して変わらない。外から黒船が来航するしかない。思わぬ事にきづかされました、また黒船が来航する日がきたら今度はどうなるか見当つきませんが変わるには大きな機会が必要ですね。
お礼日時:1/24 1:21