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2022/1/14 23:18

99回答

創造論と進化論ってお互いに相反するものなんですか? 別に創造論も進化論もどちらも正しいって言えませんか?

ベストアンサー

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質問者2022/1/15 7:44

よく分からないのですが、変化はあるが別の種に進化しないと言うのですが、創造論における「別の種」ってなんですか? 「別の種」が定義されてないと「別の種に進化しない」とは言えないですよね? 「変化はある」でも「別の種に進化しない」というのは非常に矛盾を孕んでいる表現ですよね? 「変化」と「別の種」の定義が創造論ではどのようにされているのかを示して頂けないと私にはよく分かりません。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

次に回答する時はちゃんと「馬がなぜ馬なのか?」という疑問に答えられる理論武装をしてきてくださることでしょう。その期待を込めてベストアンサーにさせて頂きます。

お礼日時:1/19 9:18

その他の回答(8件)

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創造論って、科学技術の発達によって得られた観測結果が、キリスト教的な世界創造と大きく矛盾していることに焦った宗教関係者がでっち上げたものです。 神が生命を創造したというならば、当然科学者は神の存在の定義・生命誕生のプロセスを探求することになるでしょう。そこまでしなければ意味がありません。最初の生命は未来人がタイムマシーンで持ち込んだ、というのと同レベルです。

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この件に関しては、「どちらも正しい」と諭すのは解決になりません。 それを理解するには、 「進化論VS創造論」という構図が、誰によって、何故、どこで、生み出されているか というところから考える必要があります。 まず、創造論と一口に言っても いろいろな宗教・宗派でいろいろなバリエーションがあります。 ・宇宙(世界)をつくって(あるいは出産して)、あとはほったらかしというパターン ・宇宙がをつくって、それ以降ちょいちょい見えない力で未来を導くパターン ・星やら地球やら昼という概念やら夜やら生命やらを逐一作り出していくパターン ・今の生物相(いろいろな種)が、今の姿のまま作り出されたというパターン 後半の二つは、現在の科学的知見と矛盾します。 ここで、現在の科学的知見について確認しておきましょう。 むかしむかしの19世紀の頃ならいざ知らず、現代において、科学の場では、 ごくごく一部の変な人を除いて、科学者はみな進化論を支持しています。 また、現代において、ごくごく一部の変な人を除いて、 宇宙、銀河系、太陽系、地球、生命、あるいは人類が、 「創造された」などと大真面目に主張する科学者はいません。 それらはそれぞれの分野の専門家によって、創造者なく、勝手に誕生したと考えられています。宇宙さえもです。 ですから現代、科学の場では、「進化論VS創造論」など存在しないわけです。 というか、そもそも創造論など科学の場では存在しないわけです。現代ではね。 では、 誰が「進化論VS創造論」という構図を生み出すのか? 科学的にもはや否定できない進化論を、誰が否定しようとするのか? それは、科学者ではなく、 先に挙げた4つの創造論のバリエーションのうちの後半二つやその類型に属する宗教的世界観をもつ人たちです。 進化論(科学)と矛盾するような宗教的世界観を持つ人たちが、進化論を否定しようとしているわけです。 では、彼らは何故「進化論VS創造論」という構図を生み出そうとするのか? 何故進化論を否定しようとするのか? それは、自分の信じる世界観と違うからです。 科学的に矛盾や不足があるからではありません。 科学の場では進化論が否定できないというのなら、 では、どこで「進化論VS創造論」という構図が生み出されているのか? それは教育の場やここのような雑談の場などです。 順番にかんがえていきましょう。 科学が一般に十分に浸透した現代、「科学的に正しければ真実である」と考えがちな人が多い(実際は間違うこともあるのですが)。 だから、そういう人たち多数派を味方につけようと、 進化論と矛盾する宗教的世界観を持つ人たちは、 「進化論は科学的にも正しくない」という形にして進化論を否定しようとします。 科学の後ろ盾を欲しがるわけです。できれば、科学の場で、進化論を否定したい。 しかし、実際には、進化論は科学的に正しいので、彼らの主張は科学の場では相手にされません。 相手にされないというよりは、 彼らは、科学者がきちんと精査するような学術誌に、論文を書いたりすることすらしないのです。 否定されるのが分かっているからかもしれませんね。 ではどうするかというと、 科学的に正しいことが確定していることが教えられる理科教育の場などで 政治家や教育委員会に働きかけて 「論争があると教えろ」とか、「創造論が正しいと教えろ」とか、 科学者と関係ない所で科学者の意見を偽装して主張しているわけです。 このような偽装が20世紀後半のアメリカで起こったことで、 日本で「進化論は正しくない」だの「ID論」だのと言っているのは そうした運動の最中に主張された(20世紀中盤の古い知見にもとづいた)疑似科学的な理屈に 影響を受けちゃったものでしかないのです。 さて、以上を踏まえて、 この件に関して「どちらも正しい」と諭すのが解決にならない理由をまとめます。 まず、「進化論VS創造論」という構図の進化論側にとってみれば、 科学的にもはや否定できないほどに確度の高い進化論に対して 科学と関係ない人たちが科学と関係ない理由で 「科学的に正しくないんだ」と言いがかりをつけているものなので そんなイチャモンを正しいと認める理由がありません。 もちろん、信教の自由はあり、勝手に創造論を信じる分には良いのですが 相手方の主張は 「進化論は科学的に正しくない」というものなので そのような嘘に対して「どっちも正しい」なんてのは、 世界のしくみを明らかにしようと日夜努力する科学者たちに対する侮辱でしかありません。 一方、「進化論VS創造論」という構図の創造論側(というか進化論否定側)にとってみれば、 やはり「どっちも正しい」は受け入れることはできないものです。 というのも、 「こう考えれば創造論と矛盾しないよ」と言われる創造論は、 彼らの考えている創造論(たとえば「今の姿のまま作り出された」)と異なるものであり、 結局のところ、彼らの宗教的世界観を否定する点は変わらないからです。 彼らにとって、 「生命の誕生だけは創造論」みたいなのは、進化論と同じ、 彼らの世界観を否定し、彼らの価値観を破壊する主張なのです。 ですから進化論と同じように、 「どちらも正しい論」は受け入れられることはないのです。 以上。 ここからは応用編です。 「どっちも正しい」が駄目なら、じゃあどうすればよいのか。 あなたはおそらく、進化論が科学的に正しいという点には同意されるかと思います。 しかしながら、 進化論を否定する人たちに、正面から「進化論は正しい」などと言っても、前述のとおり聞く耳を持ちません。 もし、万に一つの可能性に賭けて、彼らに進化論を認めさせたいなら、 彼らの世界観を否定しないことが前提となります。 彼らの主張に対しては、「矛盾しないよ」ではなく、 「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな。」と述べ、 そして、こちらの主張については、 「科学的には」「科学的知見では」としつこいくらいに注釈・前置きを加えましょう。 そうすることで、 「信仰の自由は侵害してません」「信じたいものを信じても良いですよ」というアピールになります。 それでもほとんどの場合、あなたの主張を否定しようとしてくるでしょうが 一万人に一人くらいは自分自身の世界観を脇において、進化の科学的正しさに耳を傾ける人が出てくるかもしれません。 逆に、 進化論を肯定する人たちに、「創造論はある意味正しい」などと言っても 前述した詐欺的経緯(もともと科学的な論争などなかったのに、科学的に間違いなどと言いがかりをつけた)から 拒否反応に遭いますし、 もともとの経緯・文脈的に科学的に正しいかどうかなので、 「科学的には創造論は正しくない」と言われて終わります。 そういう状況で、創造論を認めさせたいならば、 科学的な話ではないことを強調し、信仰の自由などを持ち出して 「創造論を信じるのは自由だよね、進化論は科学的に正しいけど」みたいに言えば、態度を軟化させる可能性はあるでしょう。

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質問者2022/1/15 19:48

うーん。どっちも正しいというより、科学的に説明できない部分(生命誕生)に関しては科学的に証明できないことはあらゆる可能性を考慮すべきだと思うんですよね。 例え荒唐無稽な説でも、より正しい説が分からない以上は苦笑いを浮かべて「可能性はゼロじゃないよね」としか言えないのが科学ですよね? 創造論ももはや観測されて世の中の摂理(宗教的に言い換えれば神様が作った法則)である進化論に噛み付くよりも、科学的に反論できない生命誕生の部分に創造論を持ってきた方が良いように思うのですよね。

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解釈に幅があるので、矛盾せずに両方受け入れることは可能ではありますね。 科学とキリスト教の向き合い方について思うのは、 科学のデータだけならむしろキリスト教は喜んで受け入れなければいけないでしょう。 ただ、進化「論」となると科学者達が「神無しで説明する」という前提に基づいてデータを解釈し、論を組み立てたものですから、それは根底となる信仰に違いがあり、相反する部分が出てきても仕方ありません。つまり、論については例え最新の科学であろうとクリスチャンが無理して認める必要性はないと思います。

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質問者2022/1/16 12:34

正直、創造論なんて「神様がやりました」って言ってるだけなんでいくらでも融通がきくじゃないですか。 だったら創造論が柔軟に進化論側に合わせれば良いように思えるんですよね。 進化論は一定の理屈に沿ってて、その理屈の中で是々非々を問うことしかできない訳ですし。 進化論では説明できない生命誕生の辺りにでも創造論を持ってくれば良いのにって思うんですよね。

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まあ、「創造論で生まれた生命が進化論の理論に沿って変化する」という創造論を掲げているキリスト教などの宗教派閥はありますけど(それに沿った「学説」やミュージアムも拵えられています)、一般論として「創造論」といわれる概念では、進化そのものを否定していますから、「お互いに相反するもの」といってなんら間違いではありません。 つまり、「創造論は「生命がどう誕生したのか?」という話」ではなく、「生命は形質を変容させない」という話だからです *だから、この知恵袋でも世間でも、進化論否定論者はけっこういますが、彼らに「創造論が正しいのならば、何故に世代を経ると子は親に似るが似てない部分も出るとか、動植物を人為的に改良して形質を変容させ、別の品種を作り出すなんて現象が起きるのか、具体的にロジックや機序を説明してください」と頼んでも、私の経験ではまともに回答してくる例はほぼありませんでした。 一方、進化論だ、科学だ、を掲げている(似非)科学の一派もあり、ID論がその代表ですけど(なにしろ、こんなトンデモを紹介している教科書まであります)、白髭にローブをまとった神様とは言わないだけで、「よくわからないナニか」が生命の素を創造し、進化してきたのだ・・・って言ってますからねえ。 当たり前ですが、こんなのは似非科学でしかないので、それを学術として確立した進化論と対照して、「相反する」も「矛盾しない」も論じる意味が無いのですよ。 つまり簡単な論理です。 ガレージの中にユニコーンがいる、ガレージを開くとユニコーンは消えてなくなるから見えない、っていろいろ”学説”をつけて主張している”科学者”がいたとして、ユニコーン実在論を真面目に論じる意味があるのか?っていう話ですからね。

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質問者2022/1/16 12:37

私が不思議なのはなんで創造論が頑なに「生物は進化しない」と主張するのか?なんですよね。 別に「神様がやりました」としか言えない創造論に何を固執する必要があるのか分からないんですよね。 「生物が進化する?それは神様がやりました」「生物が絶滅する?それも神様がやりました」「人間が猿から進化した?それも神様がやりました」「え?なんで神様がそんなことをするって?神様は人智を超えてるからねぇ」って言ってれば良くない?って思っちゃうんですよ。

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創造論と進化論は矛盾しないというのはカトリックの立場です。現在のカトリックは科学的事実はすべて受け入れる方針ですので、事実としての進化論はすべて受け入れており、そこに「神の意思」を見るだけです。 他のキリスト教徒でも、科学を尊重する人は、基本的にカトリックと同じような立場です。以前、下のブレスは『科学者とキリスト教』(渡辺正雄著)という本を推奨していましたが、渡辺は完全に事実としての進化論を肯定しており、プレスみたいな福音派とは両立しません。プレスが本を読めていない証拠ですw プレスやペンタチュース、その他このスレにいる福音派キリスト教徒にとっては、聖書の記述がすべてですから、創造論と進化論とは両立しません。

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質問者2022/1/16 12:40

聖書の記述だと「神様が生物を作りました」みたいな感じなんで、「生物が進化する?進化する前の樹形図の根っこにいる生物を作ったのが神様だぜ!」って事でも良いと思うんですよね。 つまり、カトリック教会の解釈でも別に聖書の記述と反しないんですよね。 なんで頑なに創造論は進化論を認めないというのか分からないんですよ。 どうせ「神様がやりました!」としか主張しないなら進化も何もかも全部ひっくるめて「神様がやりました!」って言えば良いのにね。