何で西ベルリンって東ドイツに併合(侵略)されなかったんですか? 僕が東ドイツだったらなんか気持ち悪いなあ。

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2022/1/17 22:10

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正にそこなんですよね。 ベルリンを4カ国で統治しなくたってよかったんじゃないかなと思いました。それだけベルリンという土地がドイツ人や連合国にとって重要だったのかもしれませんが。とにかく気持ち悪いです。

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アメリカの要求にソ連が 譲歩したのです。ソ連は戦争に勝った とはいえ、国土の多くをドイツに占領破壊された上に、何千万人の死傷者を 出して疲弊し切っていましたし、 アメリカからのレンドリース無しで 戦う事もおぼつきませんでした。 その上、アメリカには原爆と無敵の 空軍があり、逆らえる状況では なかったのです。

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ドイツが降伏した時に生まれていなかったしかも日本人の1150357799さんが気持ち悪かろうがなかろうが、戦後ドイツの占領体制にはまったく関係ありません。 ドイツが戦争に敗れた後その国土をどう管理するかは主要交戦国イギリス、アメリカ合衆国、ソヴィエト連邦が協議した結果1944年のロンドン議定書で定められています。それによるとドイツは主要戦勝国が占領し主権を行使する3つの占領地域Besatzungezone(n)と3ヵ国が共同で占領管理する特別地域ベルリンに分けられることが定められています。 本来東西を問わずベルリンはフランス(ポツダム会談で占領国に追加)イギリス、アメリカ、ソヴィエトが共同で占領管理していたが、ソヴィエトが連合軍司令部をボイコットしたので東西それぞれが独自の発展をするようになった。 しかし国際法上は東西あわせて全市が4国の共同占領下にあることに変わりなく、例えば1990年までベルリン上空の航空管制はソヴィエトも含む4軍の将兵によりベルリン(西)にある管制センターから行なわれていたし、4ヵ国の軍隊はいかなる制限も受けずに全市を移動しパトロールなどを行なうことができた。 このような状況でドイツ民主共和国DDRがベルリン(西)に軍事侵攻してもとうてい勝ち目はなく、逆に国家の存亡が脅かされることになった。 しかし侵攻作戦自体は建てられていて各部隊による侵入箇所や侵入後の行動計画(誰を拘束し、どの施設を占拠するか)も実在した。例えばあの悪名高いベルリンの壁も何か所かは戦車による突破が可能なように造られていた。

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ベルリンの周りは、全部ソ連が占領していたので、ベルリンも本当なら全部ソ連が占領するところだったのです。 しかし、アメリカとイギリスが「ベルリンを全部ソ連に取られるのは嫌だ」と思い、軍を派遣して、ベルリンの一部を占領しました。 アメリカとイギリスが占領したところが、西ベルリンになりました。 アメリカと戦争するつもりはなかったソ連が折れて、西ベルリンを認めました。アメリカと対立すると、大体ソ連が折れます。まあ、アメリカのおかげでドイツを負かせたのだから、ソ連が折れるのが当然だったのでしょう。 プーチン大統領はそうでもないですけど。 ということなので、東ドイツもベルリンに西ベルリンがあることは承知していたし、存在を認めないという訳にはいかなかったのです。ただし、目の前に資本主義陣営の地域があると、逃げる人がいたりして目障りだったので、ソ連は西ベルリンを壁で囲ってしまうことにしました。

西側がしゃしゃって飛び地に飛びついたために、あんな気持ちの悪い状態になってしまったのですね。南北朝鮮みたいにキリのよいところで線を引けばこんな思いをせずに済んだのにと思いました。

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西ベルリンは米英仏軍が駐屯していますが 西ドイツの連邦軍は勿論、国境警備隊の駐屯はゆるされないどころか、ルフトハンザの乗り入れすらできませんでした 西ベルリンから連邦議会に代議員を派遣できても西ドイツ国家に関する発案権も投票権も付与されませんでした つまり西ベルリンは東西ドイツの主権の及ばない、いわば第三のドイツ的存在で 西ドイツの徴兵には勿論、兵役代替業務への就任にも拒否する若者は西ドイツの主権外にある西ベルリンに移住しました 東ベルリンは東ドイツの首都ではありますが 東ドイツの軍である国家人民軍の駐留は許されず 代わりにソ連地上軍の第6独立自動車化狙撃旅団が駐屯 あとは東ドイツの秘密警察(シュタージ)、国家保安省のジェルジンスキー衛兵連隊が駐屯していました 東ベルリン以外には東ドイツの国家人民軍の戦車2個師団、自動車化狙撃兵4個師団がありますが 駐東独ソ連軍は戦車10個師団、自動車化狙撃10個師団の20個師団 さらに東独は東側一の科学技術力、工業力を持ちながら小火器、哨戒艇など小型船舶以外の戦車、航空機、火砲などの独自開発は禁止されました その代わりのソ連製兵器の供与も意図的に遅らされ 駐東独ソ連軍の戦車が高価なT-64に更新されても東独軍は旧式のT-55のまま 僅かながら東独が意図的に性能を落としているモンキーモデルのT-72Mをチェコスロバキアやポーランドから僅かに輸入できた頃、駐東独ソ連軍は新鋭のT-80戦車に更新 空軍も80年代に入っても僅かなMiG-29以外の主力は60年代のベトナム戦争で北ベトナム空軍の主力機MiG-21のままでした 東ドイツの兵役期間は18ヶ月 しかしソ連や他のワルシャワ条約機構加盟国の兵役期間は24ヶ月 何を言いたいかと言うと つまるところソ連は東ドイツをはなから信用していないということです 1953年の東ベルリンの暴動により当時、兵営式人民警察から正規軍である国家人民軍への改編を完了しようとしたが、延期され万単位の将校が粛清されました 東ドイツが自分の意志で西ベルリン制圧はできません 先の国家人民軍6個師団は事実上駐東独ソ連軍の軍に分散編入されていました (これは西ドイツの連邦軍の指揮権が西ドイツの首相ではなく、アメリカ人将軍が着任するNATOの欧州統合軍司令官に譲渡されているのと同じですが)

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当時のベルリンは、ドイツの首都だったので、連合国側の各国の司令部や兵士達がそれぞれ駐屯していたのです。そのため、ベルリンの周囲はソ連軍の支配地だったのにべだけは特別な地域となっていたのです。ドイツが、連合国の支配から解除された時、東ドイツはソ連軍の支配地のまま残され、西ドイツはソ連以外の連合国の支配から解放され、一つにまとまったからです。 そのため、ベルリンも、東と西に分かれてしまったのです。

WW2以降の西側の頑張りが足りなかったからベルリン以西を統治できなかったということですかね。飛び地って成り立ちを調べて歴史を知れる面白い土地である一方、僕みたいな性格からすると気持ち悪くてしょうがない。今は壁もなくなって統一されてスッキリしましたが。