清盛が頼朝や弟たちを殺しておけば、木曽義仲におびやかされても、最終的に天下を維持し、おごる平家は、久しく続くになりましたか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様、歴史博士揃いで悩みましたが、論理的に回答いただいたjun様をベストアンサーとさせていただきました。皆様ご回答ありがとうございました。

お礼日時:1/19 23:27

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もし清盛が頼朝への天皇家や熱田家からの助命を無視し、またさらに幼児や乳飲み児までころしたなら、貴族社会からそうすかんんで出世の道もとざされたかと。

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源氏には他の系統もいる。宗家じゃなくても河内源氏足利家(足利義兼または源義兼)、甲斐源氏武田家(武田信義)や河内源氏源行家などもいる。 頼朝がいないなら源信義(武田信義)と源義仲(木曽義仲)が平家打倒の中心となり、坂東武士は新田家や足利家を担ぐ可能性が高い。

義仲は史実と一緒だろうから、武田信義か足利義兼が中心になる可能性が高い。頼朝よりは源氏粛清をやらないと思うので意外とうまくいくのでは。 特に足利義兼は同族を粛清しまくる頼朝にも粛清されず、足利家は鎌倉時代を通じて名家であり実質的な源氏の棟梁として優遇されてる。よほど立ち回りが上手かったと見える。

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下総には源義朝の従兄弟・源(岩槻)頼隆。 下野には源頼朝の母方の従兄弟・源(足利)義兼。 甲斐には源(武田)信義、信濃には源(平賀)義信。 これだけ関東の武士団が御輿とする人物が存在します。

最有力は先頭で挙げた源頼隆ですね。 義朝に従い父義隆と共に平治の乱に参戦します。 義朝を逃がす為に義隆は朝長(頼朝の次兄)と殿となり討死、頼隆も捕縛され下総へ配流となります。 平家打倒の名目は申分ないですし、何せ千葉氏の手元に居たというのは大きなアドバンテージです。