コロナなんて存在しない、という人にディベートで負けてしまいます。
コロナなんて存在しない、という人にディベートで負けてしまいます。 例えば、存在してるからこれまでたくさんの人が感染して病院に入ったり、亡くなったりしてるんじゃないのか?と言っても、実際に見たわけではないだろう。それはマスコミが嘘の情報を流しているだけだ、と言われてしまい、確かに自分でコロナ患者を見たわけではなく、テレビやネットで情報として見ただけなので、それが嘘だと言われれればそうかも知れません。 ディベートでコロナは存在するという主張で勝つことはできるのでしょうか?
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ベストアンサー
面白いですね。 そういう言葉遊びは面白いと思います。 新型コロナウイルスは本当にあるのか? と一度疑うのは、頭の体操になるでしょう。 議論すべきことは、我々が信頼すべき情報というもの話題にするのがいいのでしょう。 人類の永遠の課題は、言葉の信頼性 それをどのように信頼性を得てきたかを語る ① 人類社会は、伝聞の信頼性を担保するために、論文や医療レポートそれを査読しチェックするシステムが確立させている。 ② 数百、数千のレポートが流され、信頼性の高い状態が保たれている。 ③ ディベート相手が信用している情報源というものはどのようなものか? ④ その情報源の信頼性担保の方法は? ⑤ コロナは存在しないという情報は?それは信頼される方法でチェックされているか? ⑥ コロナは存在するという数千のレポートを全て否定が可能か? ⑦ コロナは存在しないという考えは、主観的なものか?客観的なものか? 主観的と答えるならば、最も信頼性の低い「あなたの感想」にとどまる。 ⑧ 客観的と反論する場合、その他客観的な論文、レポートを否定するに値する事象の観察を成したか? で論破可能ではないでしょうか? 問題は、コロナがある・ないの議論ではなく、情報の信頼性を議論するのだと思います。
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