末法思想について教えて下さい。末法思想は、日本の仏教諸宗諸派には割とある考えなのでしょうか? 末法思想が強いのは鎌倉新仏教でしょうか? この末法はいつ明けるのでしょうか?

宗教 | 日本史186閲覧

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2022/1/24 21:41

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末法は終わらないよ お釈迦様の正法に遇える人の数は決まってるから0に向かってる世界だから末法なんだよ 56億7千万年後とは、この地球が壊れて再生されて弥勒菩薩が現れる時の事だよ

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末法思想とは大集経に書かれている五つの500歳(年)の後は仏教が廃れてしまうという予言です。アジア一帯に広まっていた仏教は現在ではほんの僅かしか残っていません。予言通りと言えます。最初の五百年は「解脱堅固」とあり、解脱して仏となる人が多く輩出する時代。次の五百年は「禅定堅固」とあり、正しい修行が行われている時代。第3の五百年は「読誦多門堅固」とあり、僧侶が自分の修業を重んじ仏教を広めようとしなくなる時代。第4の五百年は「多造塔寺堅固」とあり、仏教が形骸化し大きな仏像や豪華な寺院が多く建造される時代。第5の五百年は「闘諍堅固」とあり、仏教が分裂し宗派間の争いが多発するようになる。その後は人々の心が仏教から離れて末法となり、仏教が廃れていくとされています。

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世界史の本や岩波仏教辞典などによれば、紀元480年頃、エフタルと呼ばれる中央アジアの民族が北西インドに侵入し、仏教を猛烈に迫害し、そのような混乱と社会不安の中から、末法という危機の思想が生まれ、直ちに中国にもたらされたと考えられています。(インドでは末法思想は成立しませんでした) 文献に見る、「末法」の初めは『立誓願文』(正法五百年、像法千年、末法万年説を主張)で、奈良時代にはすでに請来していた模様です。その後の末法思想(末法万年とする末法思想)の普及に一役買いました。 末法万年で終わりではありません。その後に来るのは『法滅』という末法よりもおそろしい世の中です。法が完全に滅した状態、読んで字のごとしです。 さて、平安時代に入ると、吉蔵の『法華玄論』に基づく正法千年、像法千年が一般的となります。 なぜなら釈迦の入滅をBC949年(周書異記)と考えていた当時、中国の『立誓願文』の説に基づけば、末法の初年は552年となってしまいます。実はこの552年こそ仏教が日本に伝来した年(日本書記)とされています。いきなり末法では都合が悪いでしょ だから日本では500年遅れの、正像千年説が採用されたのです。 ◆中国と日本のそれぞれの国の事情で別々の説が採用されたとなると、末法に関してどんなこじつけも有りになってしまいそうです。 末法思想の大前提となるブッダの入滅年(周書異記)は、歴史学の立場から完全に否定されてます。 三時思想の末法の初出とされる『立誓願文』も、言われているように『慧思』(天台チギの師匠)の作によるものか非常に怪しいのです。(詳細は省きます) また、最澄に仮託して平安時代末期頃に書かれた『末法灯明記』を見ると、『大集経月蔵経』(偽経)の五堅固説、そして「周書異記」(偽書)の説がていねいに紹介されています。 よく知られているように『末法灯明記』(偽書説が有力)は日本の中世仏教に大きな影響を及ぼしました。 中国においても、日本においても、末法思想の宣揚にしばしば偽書が用いられました。 末法思想は、偽書に偽書を重ねた説でありながら、仏教宗派の教えを知らしめるめるという点では、功を奏したようです。 末法意識の高まりを背景に、この末法の世を救う教え(純粋にそう思っていた)として鎌倉新仏教は隆盛を見たのですから。 しかし、鎌倉祖師方が、知りたくても知り得なかった原始仏教やインド仏教学を知る現代人が、信者獲得に向けて、末法思想を利用し、今の社会の矛盾や危険を最大限に指摘して勧誘するのは、【禁じ手】です

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》日本の仏教諸宗諸派には割とある考え 少なくとも、像法の終わり・末法の始まり前後(平安時代)では、一般的だったような印象を持ちます。 》末法思想が強いのは鎌倉新仏教 そう思ってます。唯、道元禅師は重視してませんね。気にした様子は見られません。 》末法はいつ明ける 明けることはないそうです。 https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&url=http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%25E6%259C%25AB%25E6%25B3%2595&ved=2ahUKEwjRz7_i-8f1AhXOsFYBHR2jBUMQFnoECCgQAQ&usg=AOvVaw1TShezgnLZ9u0enC4bdtgh ここで注意する事は、佛教の過去・未来・現在に対する考え方です。佛教では三世の実在を否定してる事です。 往々にして、末法思想を予言の様に思う事です。未来は実在しないのですから、当然末法が未来にあるわけではありません。 佛教に予言はありません。従って、末法を強調した発言も、その中で考える必要があると言うことです。 》56億7千万年後の未来 上記弥勒菩薩の降臨も、同様に考えねばなりません。