ID非公開

2022/1/24 15:58

44回答

いわゆる源平合戦の源頼朝と義経について質問です。 平家滅亡後、義経は頼朝と決裂し、頼朝追討の院宣をもらってもロクに兵が集まらなかったんですよね。 これは分かるんですが…

日本史 | 歴史184閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">100

ベストアンサー

1

1人がナイス!しています

その他の回答(3件)

1

鎌倉武士の存在目的は、朝廷をうち滅ぼすことでなく、朝廷とは距離を置いて、関東で、独立して暮らすことです。平家を滅ぼした後は、朝廷とはかかわりたくなかったのですよ。

1人がナイス!しています

1

みんな義経の軍事的才能を恐れたのでしょう。義経の平家討伐を目撃したひとが多かったでしょうから。 「源義経はいくさの天才だ。劣勢をひっくりかえしてしまうかもしれない」 という気持ちがあり(頼朝は庶子に追い払われてしまうのでは?というわけ)しりごみしたというのが真相では。

1人がナイス!しています

1

本当に推測ですが・・・・ 頼朝方に兵が集まらなかった、確かに、武士たちは義経と戦うのは…という気持ちが有ったのでしょうが・・・・ しかしそこは頼朝の「政治力」ですね。 義経の方から自滅していきましたからね。 義経は平家との戦いで、意表を突く作戦で勝っていましたが、 いざがっぷり四つでの戦いは、ましてや政治的な思惑が絡んでくる戦いは苦手だったようですね。 ましてや敵が頼朝という、鎌倉の頭ですからね。 まあ後白河法皇の手のひらで踊らされていた義経、という形ですね。

1人がナイス!しています