大河ドラマ、鎌倉殿の13人、毎回楽しみに見ていますが、ここで一つ疑問が。

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なるほど!あまりにも平氏の世の中が固まっていて、中央から離れた最果ての地の小豪族にとっては、頼朝と言えども、政治的な危険性は特に感じられなかった、ということですかね?

ThanksImg質問者からのお礼コメント

自分がサラリーマンから起業した経験から、既に出来上がった組織、常識を打ち破る決意というのは、時政がどんなに実力者であったとしても、そんな簡単ではなかったという思いは消せません。 ですので、「成り行き上挙兵した」説で非常に説得力のあるこちらの回答をベストアンサーに選ばせていただきます。 とは言え800年以上前のこと。どの説も、なるほど、と楽しませていただきました。皆さんありがとうございました。

お礼日時:1/25 10:49

その他の回答(2件)

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平家との戦が起きれば、源氏の血筋の頼朝の所に、関東武士が集まります。 そ武士達を束ねて、平家勢力を滅ぼして、領地も増えます。 当時の武士たちは、領地争いの戦に明け暮れていたのです。 領地が増える方にかけていたのですよ。 別に、平家を滅ぼさなくても、奥州藤原氏のような独立国を関東に作れば、大成功ですよ。領地は10倍20倍です。

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あの当時、関東では大きく二つの勢力が有りました。 これは関東に限らず、大体東日本全体の傾向でした。 一つは、平家の力を頼り、自分たちもその利益を得ようとする武士団。 もう一つは、先祖が平氏であれなんであれ、今の現状に満足していない、何かのきっかけで、不満を爆発させたい勢力です。 伊東氏や大庭氏は前者です。 北条氏は後者です。 そして何かのきっかけで、いかに自分たちの力を高めるかに腐心するのです。 そのきっかけの一つが、伊豆に流されている「源頼朝」なのです。 反平家の「旗印」にするには、うってつけの存在なのです。 まあ北条氏にとっては、1175年~1180年のこの段階では、かなり危険な「かけ」でもありました。 そして、彼らは「源頼朝」という運の強さに掛けたのです。 日本歴史上、結果論ですが、頼朝ほど「運」の強い人物はいませんね。 平治の乱の時、彼は12歳でした。父と一緒に出陣し、負けて捕らわれました。この時が運の強さの一番目。 捕まえた兵士の武士が殺さなかったこと。首を取って清盛の所へ持って行っても良かったのに、まあ12歳という事で、捕虜にしたのは良かったですね。 次は清盛も殺さなかったこと。命を助け、伊豆へ流したこと。 これが2番目。 3番目は、挙兵したものの石橋山の戦いで大庭達に惨敗して逃げたが、ここでも命が助かったこと。 そして千葉、安房の国へ逃げたが、ここでこの地の豪族武士団を味方に引き入れたこと、などなど・・・。 ともかくついている人物ですね。あとは戦う戦は全て完勝!

ありがとうございます。 と、すると、ドラマでは時政をとぼけた人物に描いてますが、実際には彼は大博打を打った人物、ということになりますね。 そう考えると(妄想ですが)、リスキーな勝負をする勝負師の創業者、時政、有能な政治家である(権力家としての)二代目義時と考えると、政権が安定して以降は政治家の義時が力を得て、勝負師の父親を追い出した、という図もなんとなく納得ですね。