石川数正が徳川家から豊臣家に出奔と言うのは有名ですが豊臣家でどんな仕事をして豊臣体制崩壊後どう生きたのかは余り知られていないと思います。
石川数正が徳川家から豊臣家に出奔と言うのは有名ですが豊臣家でどんな仕事をして豊臣体制崩壊後どう生きたのかは余り知られていないと思います。 出奔後どんな人生を歩みどんな終わり方をしたのか知りたいです。 そして数正スパイ説信憑性有りますか!?自分は可成り疑ってます。
ベストアンサー
家康の関東移封後、信濃の深志地方を与えられ、 松本城の築城を託されます。 その後、数年で数正は死没したので、松本築城と城下町の開発が、 数正の人生最後の仕事です。 松本城は歴史の荒波を潜り抜けて現存し、国宝認定され、 その城下町は日本有数の観光都市のひとつとなって、 今も繁栄しているので、人生最後の仕事としては、 成功と言って良いでしょう。 関ケ原戦の際、息子たちは徳川に帰参をしますが、 やはり家康からは、疎まれていたようで、 すっかり、外様大名扱いをされています。 長男の康長は、徳川家臣団の派閥争いに巻き込まれて改易、 次男の康勝は、その後、大坂方として、大坂城に入城し戦死、 ということで、歴史の表舞台から、消え去りました。
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質問者からのお礼コメント
本当に数奇で儚く苛烈(嫡男次男)な運命でしたね
お礼日時:1/25 11:46