日本海軍で、第二次ソロモン沖海戦からは、各艦の攻撃隊機数が少ないのはなんででしょうか?
日本海軍で、第二次ソロモン沖海戦からは、各艦の攻撃隊機数が少ないのはなんででしょうか? 例えば第二次ソロモン沖海戦だと、第一次攻撃隊 空母翔鶴(艦戦4機、艦爆18機) 空母瑞鶴(艦戦6機、艦爆9機) 第二次攻撃隊 空母翔鶴(艦戦3機、艦爆9機) 空母瑞鶴(艦戦6機、艦爆18機)です。 南太平洋海戦では、第一次攻撃隊 空母翔鶴(艦戦4機 艦攻4機) 空母瑞鶴(艦戦8機 艦爆21機) 空母瑞鳳(艦戦9機) 第二次攻撃隊 空母翔鶴(艦戦5機 艦爆19機) 空母瑞鶴(艦戦4機 艦攻16機)です。 特に各艦の艦戦隊機数が少ないのはなんででしょうか?
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ベストアンサー
一番の理由は「搭乗員も機体も不足していたから」です。 開戦後、珊瑚海海戦で祥鳳が、ミッドウェー海戦で赤城、加賀、蒼龍、飛龍が、ソロモン海戦で龍驤が沈められ搭載機は全機失われました。また、開戦からソロモン海戦までの間にフィリピンやボルネオ、インド洋、ラバウル、ラエその他の戦闘で失われた機体、搭乗員もいます。 また、開戦時には存在しなかった基地(ラバウルなど多数)に航空機を配備しなくてはなりません。隼鷹や飛鷹のように新しく就役した空母にも配置しなくてはなりません。 その一方で開戦後1年に満たないソロモン海戦の時点では航空機増産もまだ機動に乗っていません(日本の航空機生産が最も多かったのは1944年)。搭乗員の養成もやはりまだ増えてはいませんでした。それに加えて「空母艦載機の搭載員」は余計訓練に時間がかかります。 定数通り搭載したくても出来なかったのです。
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