高倉院厳島御幸記を問題で読んだのですが、高倉上皇が清盛が向かいの山のあちらにいると聞くと顔色がかわり、作者がまして武士の家に入り込んでいる気分はどんなだろうか(マイナスイメージ)と言っていたのですが、

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治承4年(1180年)3月、前月に退位した高倉上皇は、厳島神社に参拝のための御幸をしましたが、それ以前には、退位した後、上皇がはじめて参拝するのは都に近い石清水八幡、賀茂神社、春日大社等というのが例となっており、都を遠く離れ、しかも平家の氏神である厳島というのは異例のことでした。 上皇の生母は平滋子(清盛の妻の妹)でしたから、厳島は母方の氏神といえなくもないのですが、前年11月、平清盛は後白河上皇の院政を止め、鳥羽殿に幽閉したばかりでしたから、この厳島御幸は、周囲からは、いかにも清盛の意を迎えようとしているように受け止められることでした。 そのため、上皇は、貴族層だけでなく、比叡山の僧兵らからも反発されることになりました。上皇の厳島御幸は、このような状況で行われたものです。 「高倉院厳島御幸記」は未見ですが、「清盛が向かいの山に」というのは、御幸の帰途、福原に立ち寄ったときのことかと思います。 上皇と清盛の関係が特に険悪だったとは伝えられていませんが、上記のとおり、この御幸は周囲の反発を押し切ってのことでしたから、上皇も険悪な空気があることは承知しており、清盛の名前を出されて、思わず不快な心持ちになったということかと思います。

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