ここから本文です

純文学について よく、純文学を読めと言われます。読書は好きなので、まったく...

love_pi942さん

2009/5/221:37:09

純文学について

よく、純文学を読めと言われます。読書は好きなので、まったく抵抗はないのですが、純文学とは具体的にどのような本を指すのでしょうか?
具体例を教えてくださると嬉しいです。

閲覧数:
4,295
回答数:
6

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

プロフィール画像

カテゴリマスター

編集あり2009/5/300:59:30

「純文学」とは、大正末期に久米正雄が言い出したことで、定義が不明確です。簡単に言えば、娯楽小説ではない、文学における芸術作品が「純文学」です。
純文学を書いている作家も、金になる娯楽小説を書くので、作家では区別がつかない。ただ、時代小説や推理小説を書く作家は、「純文学」を書かない。
三島由紀夫で言えば、「仮面の告白」「禁色」「金閣寺」などは純文学であり、「潮騒」「夏子の冒険」「複雑な彼」などは娯楽小説である。
井上靖の長編小説は、通俗的な要素が強いので、純文学と娯楽小説の狭間に位置する「中間小説」という見方がされる。

<追記>
「物語を作ると純文学ではない」という見方がされ、「私小説が純文学の王道である」という時代があったが、私は変だと思う。


<追記2>
「芥川賞を受賞したような作品です」というのは、いささか、どうも。賛同しかねる。
川端康成の「伊豆の踊子」は、純文学と言えるほどの作品ではない。三島由紀夫の「潮騒」と同様の、暗さはあるが軽い読み物だ。

この質問は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/5件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

nipixiesさん

編集あり2009/5/919:27:28

今現在、(便宜的にでも)純文学とエンターテインメントの2つにジャンル分けする際の定義は、
エンターテインメント=ストーリーで読ませる。
純文学=文章そのもので読ませる。
が一般的だと思う。それと、明確なオチがある、ない。あるいは、マクロとミクロ。なにに重きを置くか。
明るくて軽い読み物は純文学ではないという意見があるが、あまりに主観的、恣意的。重いか軽いか、暗いか明るいかなんて、読む人それぞれの感覚であって、作品そのものの構造をなんら説明したものじゃないもんね。ってゆーかそもそも、暗くて重いものが純文学だという見解は、閉鎖、偏執、思い込みが強すぎる。たとえば私は、町田康、川上弘美、江國香織が大好きだけど、そういう人が読むと、軽い読み物だ、純文学じゃねーとなりかねない。各々の文学観によりてこれは純文学でないとするのは結構だけれど、ここでは相対的、総体的な話をすべきだと思うのだが。

ま、それはともかく、たとえば、
――吉本ばなな『キッチン』は純文学か。
この作品は発表時に、少女漫画(少女小説)だ、といわれたらしい。
たしかにある側面からとらえればそのとおりといえる。では、上記の定義に当てはめてみるとどうか。
ストーリーは、天涯孤独となった主人公がオカマの母とその子とともに生活する、ってそれだけの話。ストーリーに起伏があるわけじゃない。何かが起こるわけじゃない。平穏。
文章そのものに神経を行き届かせるという意味では、一行目に、いきなり変な日本語の文章を書いている。もちろん「わざと」だろう。
その二点で鑑みると、純文学、といえる。
さらにいうと、再生の物語の道具立てとして「台所」を用いている。エンタメの場合はこういう象徴的な使い方はしないんだよね。宮部みゆき『サボテンの花』を最近読んだので例に。「サボテン」は作中における重要なアイテムだが、これを仕掛けとして、つまりオチに関わる部分で使っている。

また、感覚的な面でいえば、言葉で説明できないことを言葉で描く、描こうとする姿勢っていうのかな。
エンタメを読むと、いい話だなあ、とか、次の展開どうなっちゃうんだろ、わくわくする、とか。純文は読むと、なんなんだ、これは、という感じ。
たとえば『雪国』の凄みを感想として言葉で表現するのは難しいと思う。
いや、書こうと思えばできるけど、んなもん野暮。人間の感情の根源的な部分を揺すぶるっていうのかな。エンタメならわかりやすいんです。主人公の生き方とかさ、純粋に物語性であったり、感動の理由は自分自身容易に明確に知れる。
ブンガクは説明しないものだと思う。なればこそ「なにか」が浮かんでくる。ある意味、そこが両者の決定的な差かも。

あと、余計なお世話かもしれないけど、いきなり古いものから読まないほうがいいと思う。言語感覚の違い。
退屈だ、と思ったり、ほんとはよくわかってないのに、名作なんだから、と勝手に良い作品だと思い込んでしまったり。
まずは、現代作家からのほうがいいのではないかと。
で、おすすめ。
町田康『くっすん大黒』、川上弘美『センセイの鞄』
前者は「なんじゃこりゃあ!」な作品。ふざけているようで(いや、実際ふざけてますが)、文学的要素満載。
後者は、ストレートには恋愛小説として読めるも、そのじつ文芸的な企みがしっかりとなされている。その企みに気付けなくても愉しめるし、気付けたらなお愉しい。
いずれも典型的な(多くの人が思い描くであろう)純文学作品とはいえないかもしれないけど、エンタメとの差異という意味ではわかりやすいのではないかと思う。
芥川賞作を読んでいくにしても、
なにをどのように描いているかという構造面、小説の構築の仕方に目を向けることができれば、自ずと違いがわかってくるのではないかと思います。

ん、それと、『博士の愛した数式』が好きなんですね。小川さんは芥川賞をとってます。あれは皆が思い描くだろう純文学ですね。重さだとか暗さだとか。
『博士』は未読なのでなんとも言えません。読んでりゃいちばんわかりやすい例だったかも。もし純文の範疇なら、あなた自身それとは知らずに読んでいたことになるわけで。

編集あり2009/5/315:51:38

私の感覚的定義を端的に申し上げますと、
読んで面白いもの→娯楽小説
読んで興趣(おもしろ)いもの→純文学

という感じでしょうか。これは一概に言えるものとは限りませんが^^;

プロフィール画像

カテゴリマスター

kmbch_515さん

編集あり2009/5/309:59:22

世間一般の人生観や世界観を揺るがす作品が純文学ではないか、と私は考えます(狭い見方ですが)。つまり既製の価値観に変更を迫り、新しいものの見方を生み出すような、ある意味で危険な作品ですね。

ですから、純文学作家が娯楽小説を書いたり、娯楽(大衆)小説作家が純文学作品を書くこともありえます。

純文学の例
◎大岡昇平『野火』
◎武田泰淳『ひかりごけ』
◎石川淳『荒魂』
◎安部公房『砂の女』
◎丸山健二『争いの樹の下で』

海外の作家では、ドストエフスキー、ヘッセ、カミュ、など。

編集あり2009/5/223:01:27

芥川賞を受賞したような作品です。
ストーリーを読むというより、文章の美しさや、人の心の綾を文章で表現したものです。
ですんで、つまんないし、意味わからないし、疲れます。w
まぁ文章における芸術と言うところでしょう。
普通の小説とかは娯楽と考えられていますので、よい文章を知り、書けるようになるには純文学はいいんじゃないでしょうか。

川端康成>伊豆の踊り子
三島由紀夫>金閣寺
あたりがいいんじゃないでしょうか。
あるいは芥川賞で検索して有名作家のものを読んでみてはどうでしょうか。

husigisikiさん

2009/5/222:05:03

「第3の新人」だったっけな?昔の評論かなにかで、戦後の純文学について、そう呼ばれ論じられたことがあったような……詳しくはググって。
具体例ですが、一般に第三の新人らの作品は、日常の中の人間性を描く事に焦点を当てており、一応私小説の系譜に連なっている。 第一次・第二次戦後派作家(野間宏、大岡昇平ら)は苦しい戦争体験を直接持ち、極限状態における人間を見つめる視点から作品発表を始め、

『政治』と『文学』に対する問題意識
実存主義的傾向
リアリズムと私小説否定
といった傾向が見られるのに対し、第三の新人にこうした視点はほぼ皆無である。

だ、そうです。
第3の新人と呼ばれた人たちは、戦後、芥川賞を多く受賞したらしいです。
そういえば、日本の純文学と呼ばれるものは、いずれも『政治』と『文学』に対する問題意識
実存主義的傾向
リアリズムと私小説否定なんてものちゃんちゃらないですよね。
よく、日本の小説が海外で通用しないのは、日本語を英語に訳そうとするからだ、といわれることがありますが、こうみると、それは間違っていると思えるような気がしますね。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問や知恵ノートは選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。