国鉄時代の鉄道路線を教えてください。 1970年代に松本駅〜高崎駅の路線が通っていたと聞いたことがあり、山梨県を経由していたらしいのですが調べてもわかりませんでした。
国鉄時代の鉄道路線を教えてください。 1970年代に松本駅〜高崎駅の路線が通っていたと聞いたことがあり、山梨県を経由していたらしいのですが調べてもわかりませんでした。 普通に考えると直通で松本駅〜高崎駅は有り得ないし、山梨を経由することも疑問です。 普通電車だったらしいのですが、そんな路線があったのか気になるので教えてください。
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なんか、いろいろな情報が少しずつ間違いながら混ざってしまったんじゃないかな、というのが私の印象です。もともとの発信者さんご自身が勘違いや記憶違いをしているのか、それともそこは正確だったけど「伝言ゲーム」されてるうちに変形してしまったのか。 先行する回答者さんたちが書いているように、松本から山梨経由で高崎へ向かう路線は過去に遡っても存在していません。 「高崎」と「通っていた」という過去形がキーワードかなと思うのですが、高崎を起点とする信越本線が、1997年秋までは長野まで通っていました。このうちの横川(群馬県)と軽井沢(長野県)の間の区間(「碓氷峠」)は、いまの北陸新幹線が長野まで部分開業した際に廃止になり、軽井沢から長野側は「しなの鉄道」という第三セクター鉄道になりました。 これによって、高崎から長野まで在来線を乗り通す事が出来なくなりました。 上記のように考えたら「信越本線という路線がかつて通っていた」という話なのかなと思ったりもするのですが、それと大いに矛盾する「山梨県を経由していた」というキーワードもありますね。 信越本線では長野県と群馬県が直接接していて、山梨県は経由しません。長野経由で信越本線に直通する車両運用についてはsss*****さんがが書いておられますが、この経路では「山梨」を通りません。 となると、私もこれは「路線」や「列車」の事ではなくて、nemaroさんが書く「ルート」の事を言っている確率が一番高いような気がします。「そういうルートをたどって旅をした」という話ではないのか、と。 小海線は「高原列車」などと呼ばれて一時は若い女性にまで人気があった線。それこそそのピークは1970年代前半ごろではなかったかと思います(「アンノン族」なんていうのが流行っていた時期ですね)。 小諸から軽井沢も同じく高原の雰囲気で、浅間山を間近に見ながら走る雰囲気のいい区間です。そして軽井沢から横川は碓氷峠の急勾配を下っていく…。碓氷峠はJRの中でも最急勾配区間で、補助機関車を付けないと通過出来ない「名物区間」でした。機関車連結・解放のため特急も全列車停まっていたので、停車時間には有名な「峠の釜めし」を買い求める人がホームにわらわら湧いて来てました。とても印象的な区間です。 山が好き、信州が好き、というタイプの人であれば、とても印象深い旅になったでしょう。 そこを総合すると、発信者の人はもともと「かつてはそういう魅力的なルートをたどってのどかな旅が出来たんだよ」「新幹線開通で線路が切れてしまってそういう旅も出来なくなったんだよ」という事を言いたかったのではないか?などとも想像するのですが… あくまで想像、というかほとんど妄想です。ちょっと想像力をたくましくし過ぎたかも知れません。質問者さまが「と聞いた」というシチュエーションが分かりませんので、勝手な妄想はここまでで^^
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質問者からのお礼コメント
皆さんの回答を踏まえて再度本人に聞いたところ、「自信がない。勘違いだったかも」と言ってました。 乗車したことは無く、そのような電車があったとの事なので、皆さんの言う通り勘違いだったのでしょう。 今思えば、松本~高尾と勘違いしてたのかもしれません。それなら腑に落ちます。 皆さんの回答大変参考になりました。 ベストアンサーは最後解りやすくまとめてくださった、こちらを選びました。ありがとうございました。
お礼日時:5/17 0:35