ID非公開さん
2022/5/10 18:15
2回答
至急 【南蛮貿易について】
至急 【南蛮貿易について】 質問① 南蛮貿易とはポルトガル、スペインと日本の貿易って事であってますか? 質問② 日本はなにを輸入していたのでしょうか 質問③ 日本からの輸出品はなんですか? 質問④ 南蛮貿易は中継貿易に分類されますか? 自分なりに調べたのですが、理解が出来なかったので、わかりやすく教えてくれると嬉しいです。
日本史・97閲覧・100
ベストアンサー
①南蛮貿易とは主にポルトガル商船(南蛮船)を介し、日本にとっての南蛮地方(東南アジア・インド)に広がった貿易活動です。 中学ぐらいの教科書的には日本とポルトガル・スペインの貿易と答えても問題ないように思いますが、実際のところ南蛮貿易は日本とヨーロッパの間での取引はあまり大きなものではなかったようです。 ポルトガル商船に乗ってスペイン人宣教師は日本を訪れていましたが、西廻航路であったスペイン船のアジア進出はポルトガルと比べてかなり遅く、南蛮貿易を牽引するほどの存在ではなかったようです。 南蛮商人が火縄銃をもたらしたことは日本にとって画期的でしたが、10年ほどで国産化が始まります。鉄砲2挺というのは種子島時堯が最初に購入したときの話ですね。実際にその後国産品が普及するまでに日本人が何挺買ったかはわかりません。 南蛮船はインドや東南アジア、中国の商品を買い付け日本で売りました。 ②輸入品は? 生活用品として生糸、陶磁器、織物、軍需品として硝石、鉄、鉛などが輸入されました。これらはヨーロッパの産品ではなく、アジアの産品です。南蛮商人とはアジアの交易圏に新規参入した海運業者だと言えます。 ③輸出品は? 戦国後期から江戸初期の日本は世界有数の金銀産出国でした。 日本から金、銀を輸出していたという表現もされますが、通貨である金銀が挙げられているということは、大幅な輸入超過であったということで、実際のところは日本には金銀以外に大して需要のある商品がなかった証ではないかと思います。金銀の流出は江戸幕府がいわゆる鎖国政策をとった後も続き、オランダとの貿易額調整を行うことでようやく止まります。 また、豊臣秀吉が禁止するまでは日本人奴隷も多数輸出されたようです。 戦国時代は戦争捕虜などが奴隷として売買されていました。 ちなみに戦国時代の日本は別に鎖国だったわけではありませんし、南蛮船が来るまで貿易をしていなかったわけでもありません。 室町将軍の足利義満から始まる日明貿易が制度上は残っていましたが、幕府が混乱状態であったため正式の勘合貿易が行えなくなっていたのです。 明国(中国)は海禁策(いわゆる出入国規制)を行っており、正式な認可を受けた船(勘合符を持つ船)以外の入港を規制していました。しかし民間の貿易需要は大きく、政府の目を盗んだ私貿易は盛んにおこなわれていました。 倭寇と呼ばれる海賊はこうした私貿易を行う商人でもあります。現在の研究では前期倭寇はおもに日本人が、後期倭寇は中国人が主体であったと考えられています。南蛮船が進出するまでの日本ではこうした中国との私貿易や対馬の宗氏が仲介する朝鮮半島との貿易が主体でした。 南蛮船による大きな変化はそれまで中国と朝鮮半島が取引の殆どだった日本に、東南アジアやインドとの通商路が拓けたことです。 ④南蛮貿易は中継貿易だったのか? 性質としては中継貿易だと言えます。 ただしその主体はマカオに拠点を置いて主に東シナ海で活動するポルトガル商人などであり、ポルトガル本国は中継地となってはいません。 どちらかというと、南蛮貿易は日本側の視点に立った解釈で、ポルトガル商人が牽引して、日本と東南アジア・インド地域を結び付けた交易活動を指していると言えます。
質問者からのお礼コメント
めちゃくちゃわかりやすく解説ありがとうございます! 助かりました!
お礼日時:5/17 0:55